ルカによる福音書1:46−55

受胎告知の時、天使ガブリエルに「喜べ、恵まれた方」と告げられたあの女性は、世間の人々が幸福と考える生涯を過ごしたでしょうか。いや、むしろ嘆きと苦しみの多い生涯でした。夫ヨセフを失い、我が子が処刑されるのを目の当たりにする悲嘆。それなのになぜ、マリアは失意と落胆の闇に落ち込まなかったのか。その疑問の答えは、彼女がエリサベトを訪れた時に高らかに歌った、あのマリアの賛歌「マニフィカート」の宣言にあることに気付かされました。この賛歌こそ、マリアの希望と確信を歌うものであり、彼女を試練や苦難の時にも支える、力の原泉であったに違いありません。
あの日、マリアは救い主を体内に宿していたからこそ、この賛歌を、確信を込めて歌いました。マリアが歌うのは、今の幸福でも成功でもありません。現実への落胆でもありません。彼女が歌うのは、未来の希望、未来に神が実現なさる正義と公平の讃歌です。その未来の希望が今、彼女の胎内に来ておられるのです。御子を宿しているからこそ確信することのできた、神が実現なさる未来の幻こそが、マリアを支え、失意や落胆の闇に落ち込むことをさせませんでした。
 人間の愚かさと罪深さのために闇が深まってゆく今の世界にあって、わたしたちも信じます。神の御子は今、わたしたちのもとに来て共にいてくださると。この世界に救い主は来ておられると。神の未来が到来すると。ですから、マニフィカートはわたしたちの歌でもあります。その歌はきっと、わたしたちをじっとさせてはおかないでしょう。

石田学(NCC教育部理事長、聖書協会理事長、日本ナザレン教団)

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