「被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望をもっています。」 (ローマの信徒への手紙8章20節)

1990年代、私は北海道でアイヌの船長と出会いました。船長は、夜中に小舟で漁に出て、網にかかる稚魚やヒトデを肥料として仲間の農家の畑に配ってくれます。私はその堆肥で育つ野菜を農家から購入しました。自然の恵みは後から来るもののために山菜なら根を残すこと、産卵後のサケを越冬用にすること等を船長から教わりました。昔、オホーツクの海はニシンの宝庫でしたが、ニシンが少なくなり体長も小ぶりになったとのこと。大型底引き漁船が海底を削るので、魚は藻などの卵を生む場所を失い、海の砂漠化が進みました。船長は、とりわけ放射能で海を汚す原子力発電所に怒ります。「海は世界中つながり、もともと誰のものでもないんだ」と。
そんな船長に悲しいことが起こりました。浜に立つ先祖の墓標の場所に、観光用の公共施設が立てられてしまったのです。「和人は、アイヌの聖なる場所も奪っていく」と船長は嘆きました。昔、アイヌは自由に川でサケをとり、山で熊をしとめ、山菜をとり、アイヌ自身が自然の一部として生きていましたが、明治政府になると僻地に追いやられ、生活の権利も文化も言葉も奪われました。海の生き物が減ったことと、多くのアイヌが貧困で死んでいったことは、船長にとって根は一つ。船長は墓標に秘められたアイヌの悲しい歴史を語ってくれたのです。
海の乱獲と汚染。現在、トリチウム汚染水の放出が目前に迫ります。通常の原発排水とは違い、原発炉底から流れたデブリを冷却した汚染水。その放射性核種を、海がどこまでも希釈してくれるというのでしょうか。もの言えぬ隣人と被造物を貪る人間の罪を悔い、アイヌの戒めに聴き、正義・平和・被造物の保全の働きに立ち返りたいと思います。                       

飯田瑞穂(公益財団法人 日本キリスト教婦人矯風会 理事長、NCC平和・核問題委員会 委員)

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