金 性 済 NCC総幹事

モーセと出エジプトの民イスラエルがカナンの地をめざし歩んだ40年の時間には、神の、人の思いを超えたご計画があったのです。昼には、雲の柱が、そして夜には火の柱が彼・彼女らの道しるべとなり、モーセと民はそれを見失わなかったのです。民がカナンの地にたどり着くことと、そこに至るまで自分たちが神に守られることを神に願い求めていた時、神が民に求めておられたことは、荒れ野の困難の中でも神の与える道しるべを見失わず、ひたすら神とそのご計画を信じ従い、ひとつとされて道を進み続ける民として成長することであったのです。
今日、私たちキリスト者が“平和”というカナンの地をめざす道も、同じです。政治は、まるで草木も枯れる荒れ野のように腐敗し、砂漠の中で渇き疲れ果てる人を蜃気楼のように惑わす灼熱の日差しのように、敵意と不安とヘイトをあおるプロパガンダが人々を幻惑させます。それでも、私たちキリスト者は主のみ言葉に堅く立ち、それを道しるべとしながら、腐敗する政治に目を閉ざすことも、惑わされることも、躍らされることもなく、ひたすら主の指し示す平和をめざし、今おかれたところで否を否と叫ぶ道を進み続ける主の民となることを、神に求められているのです。
平和のためにはたらくキリスト者に主は今日も語りかけてくださる、「小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。」(ルカ12:32)この主のみ声のゆえに、私たちのめざす平和はもうすでに私たちの中に慰めと励ましと希望として始まっているのです。

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