矢萩 新一 NCC副議長
「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった。」(創世記2:7)
ある方に「最近、聖霊充満してる?」と問われたことがありました。半分冗談の挨拶の言葉だったと思うのですが、私たちの教会への問いでもあるように感じました。神さまの息によって生きる者とされている私たちですが、そのことを忘れ、自分の力だけで生きているように勘違いしてしまいます。心の電池というものがあるとするならば、その充電場所が私たちにとっては教会です。私たちの教会は、すべての人が神さまに愛されて生かされている存在として、安心して繋がり合うことのできる居場所となっているでしょうか。聖霊を充填して再び遣わされていく拠点となっているでしょうか。
教会の誕生日とされるペンテコステ・聖霊降臨日を迎えた私たちは、「皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊をのませてもらった」(コリ12:13)者として、日曜日毎に集まってみ言葉に聴き、キリストの体につながっていることを再確認して、神さまの息である聖霊によって押し出され、それぞれの賜物を活かし合いながら、「父と子と聖霊のみ名によって」祝福を受けて社会へと派遣されます。
人と人とをつなぎ合わせる聖霊の働きに身をゆだねて帆を張り、互いの違いを認め合いながら変化を恐れずに、世の海原へと漕ぎ出していく者であり続けたいと思います。