さて、民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると、天が開け、聖霊が鳩のような姿でイエスの上に降って来た。すると、「あなたは私の愛する子、私の心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。(ルカによる福音書3:21-22)

聖書には、イエスさまが洗礼を受けられた時の具体的な様子は、詳しく記されていませんが、祈られたことと、その後の出来事だけが記されています。天が開け、聖霊が鳩のような姿で降ったということは、何か目に見えない不思議なものとしてではなく、私たちの祈りに応え、神さまが天を開き、目に見える具体的な出来事として聖霊を送ってくださるということです。
洗礼における一致は、エキュメニカル運動の根幹を成すものです。洗礼を受けるということは、罪を悔い改め、「主の道を整え、その道筋をまっすぐにせよ。谷はすべて埋められ、山と丘はみな低くされる。曲がった道はまっすぐに、でこぼこの道は平らになり、人は皆、神の救いを仰ぎ見る。」(ルカ3:4~6)世界に遣わされること。なぜならば、すべてのいのちは「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と、神さまから祝福された存在だからです。
私たちは今、イエスさまのご降誕を祝い、星の導きによって、すべての人々に主が示された顕現節を過ごしています。本年もどうぞよろしくお願いいたします。コロナ危機がなかなか治まらず、まだしばらく我慢の日々が続きそうですが、健康が守られ、神さまの祝福がすべての人々にゆきわたる恵みの1年となりますようにお祈りいたします。

矢萩新一 副議長

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