二見眞義 財務委員長

無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ。平和な人には未来がある。(詩編37編37節)
NCCは、今年7月に創立70周年記念宣教会議を開催し、「NCC宣教宣言2019」の採択という大きな出来事をいただきました。その宣言に「平和」という言葉が7回用いられています。
盛夏8月、私たちの国では多くの機会に「平和」の尊さを実感します。原爆投下による広島、長崎の惨状をおぼえての記念式典(祈念式)や、それに続く敗戦への歩みを顧みるまでもなく、このひと時に平和の尊さを思う心は沸き立ちます。しかし、聖書は「平和」を必ずしも「戦争」の対語ではなく、「神と人の和解の継続」と説きます。それが「キリストの平和、キリストにある平和」です。
マタイによる福音書に「その家に入ったら、『平和があるように』と挨拶しなさい。」(マタイ10:12)と、イエスさまが12人のお弟子さんたちに語られるシーンがあります。今どきの言葉でいえば、伝道アプローチの研修風景でしょうか。「こんにちは」と同じセンスで「シャローム(平和ですねえ)」と、教会でも挨拶できるようになりたいものです。
ところで、私たちは広島、長崎の苦悩を繰り返してはならないと、次の世代へ語り継ぐ努力を重ねています。平和を守るうえで大切な事柄でしょうし、私自身もその思いに深く共感する一人です。隣人たちの韓国では、私たちの広島、長崎と同じように、戦争中に日本軍の慰安婦にされた方たちや徴用工として働かされた人のことを忘れないように、今でも(政府間では解決済みといわれても、なお)声をあげ続けています。それぞれの「平和でない状態」に思いを戻すとき、時代を超えてお互いに「平和ですねえ(シャローム)」と、挨拶できるようになりたいと願ってあげられる声を、ともに聴きあって歩みたいと強く思わされます。
採択された「NCC宣教宣言2019」には、第40回総会期の主題聖句「平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。(後略、このページの上段掲載をご参照ください)」(エフェソ4:3-4)と記されています。感謝の盛夏、今年も「平和」の祈りを重ねて歩ませていただきましょう。

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