岡田仁  富坂キリスト教センター総主事

富坂では毎年12月に、NCC宗教研究所の諸宗教間対話プログラムに参加するドイツ人神学生たちを靖国神社に案内しています。靖国は、天皇のために戦争で亡くなった人々やA級戦犯などを英霊(神)として顕彰する神社であり、その神学は、人間を神と崇める、あるいは人間が神となる神学だといえます。
しかし、聖書の神は全く異なります。クリスマス(降誕祭)の事件は、神が人間となられたことの意味を私たちに問うています。み子イエスはこの世の低みに誕生し、社会的に差別され小さくされている人々と共に歩まれ、罪にまみれた全ての人間を生かすために十字架につけられました。神は、人間の苦しみをわが苦しみとし、人間と連帯するために人となられ(受肉)、その苦難を共にしつつ解放を目指す生き方を肯定(復活)されました。これが聖書の福音です。この佳き音信を信じ、十字架と復活の神のみを畏れて服従する者が、個々の内面を支配し、まつろわぬ者を差別・排除し、外に向けては侵略を容認するような社会制度を看過することはできないはずです。
今春から始まった即位儀礼にみられるように、天皇制は私たちの日常を全体主義的な祝賀ムードをもって揺るがし、壊そうとします。大嘗祭は、天皇(人間)が神となる宗教的な儀式です。人間を神とする神学は、他を犠牲にしてでも己れを活かし、自らの責任や罪を永久に不問にする神学です。もし人が福音信仰に生きるならば、この社会制度と向き合わざるを得ません。キリスト信仰は積極的な、しかし批判的なこの世との関わりをどこまでも要求し、そこにキリスト者の日常があるからです。私たちはどこで、誰と共に2019年の待降節と降誕祭を迎えるのでしょうか。(2019年10月31日宗教改革記念日に)

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