「五旬祭の日が来て、皆が同じ場所に集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした。」(使徒言行録2章1~4節 聖書協会共同訳)

世界には何千という「ことば」があります。日本語を話す私自身、国際会議では苦労することなく皆が同じことばを話すことができたら、どんなに楽で、話が早いことかと思っていました。しかし、ある言語文化学に関する本の中で、「ことばは文化を創り、文化は人を育てる」ということに触れ、ことばの壁にぶつかっても、私たちは互いの違い(多様性)と、同じ(普遍性)を知ることが大切だと気づかされました。
聖霊によって国々のことばで語りだしたペンテコステのこの聖書箇所を読むたびに、私たちのこのことばの違いが多様性を生み出し、それは聖霊の働きによってもたらされた豊かさなのだと知ります。同時に、違いを認めず同調を強いた時、画一的な考え方の脆さや、一つの民族・文化こそが優れているなどという人間の傲慢さに気づくのです。
エキュメニカル運動も、違いと同じを知ることから始まります。出会うことによって気づかされ、違いと同じを確かめ合いながら対話を重ねます。その作業は容易くはありませんが、何度も何度も繰り返す中で、神の国の実現に近づくように思います。

NCC副議長 西原美香子

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