エイズ サンデー

2002年12月1日(日)

 主の皆を讃美します。
今年のCCAエイズサンデーは、偶然に国際エイズデーと重なりました。
CCAは、皆様が、この日をおぼえて特別礼拝を持ち、HIVポジティブ、エイズ患者とその家族に関心と関わり、支援をあらわす日とするようお願いいたします。

 12月1日が不都合であれば、教会の事情に合わせて他の聖日になさっていただいても結構です。重要なのは、一年に一度12月中のいずれかの聖日にエイズサンデーをおぼえていただきたいということです。

 昨年同様、CCAでは、皆さまのお役に立つよう、HIV/AIDSの現状、礼拝司式第、祈りなどの資料を用意しました。ご利用下されば幸いです。

  

資 料

 1.2001年末現在の地域別HIV/AIDS感染
 北米              950,000 
 カリブ地域           420,000
 ラテンアメリカ       1,500,000
 西ヨーロッパ          550,000
 東ヨーロッパ・中央アジア  1,000,000
 東アジア・太平洋地域   1,000,000
 南・東南アジア       5,600,000
 北アフリカ・中東         500,000
 サハラ以南のアフリカ地域 28,500,000 

 

2.HIVポジティヴ及びAIDS患者の子どもと大人の総数は、およそ40,000,000人

  大人          37,100,000人
   内女性        18,500,000人
  15歳未満の子ども  3,000,000人 

  2001年のAIDS死亡者総数は、およそ3,000,000人
  大人          2,400,000人
   内女性        1,100,000人
  15歳未満の子ども  580,000人

   2001年の終わりまでにAIDS によって孤児となった14歳以下の子どもの総数は
  およそ14,000,000人

3.2001年末現在におけるアジアのHIVポジティヴ及びAIDS患者(PWHA=Peopleliving with HIV/AIDS)  数上位10カ国

  インド         3,800,000人
  中国          850,000人
  タイ          650,000人
  ミャンマー       510,000 人(2000年統計)
  カンボジア       160,000人
  ベトナム        130,000人
  インドネシア      120,000人
  パキスタン        76,000人
  ネパール         56,000人
  マレーシア        41,000人

4.感染経路
  主な感染経路
    異性間性交渉による感染
    注射器による感染

  その他
    男性間における性交渉
    輸血
    母子間感染

 5.エイズサンデー礼拝司式第
*前奏

*連帯のキャンドル点火
 キャンドルは参与と献身の象徴です。又、主イエス・キリストに従うキリスト者と教会 を象徴するものです。また、キャンドルは、キリストの愛の良き知らせの伝達者として の私たちの献身と慈しみ、神の創造物とくに世界的規模で広がるHIV/AIDSの最中にあ る人々への関心を意味します。

*感謝と告白の祈り

*讃美

*物語
 HIV/AIDSと共に生きる人々との関わりを持つ方々に頼み、彼/彼女の経験を分かち合ってもらうことができればよいでしょう。または、添付する証言を分かち合ってもらうよう誰かに頼むのもよいでしょう。さらに、証言を劇に仕立ててみるのもいいでしょう。

*讃美

*祈り
 ー信仰の共同体であり神の愛と他者への慈しみと関与をあらわす教会のために
 ーPWHA、そしてその家族、看護をしている人々のために

*主の祈り(ご一緒に)

*聖書朗読

 ヨハネによる福音書9章1−7節、10章10節

*説教   
 上記聖書朗読をベースにした「死ではなく生」をテーマにした説教を。

*連帯への招き
 赤いリボンの意味、またそれをつけることの意味の説明をして下さい。

*献金
 すべての教会は、教会生命を賭けHIV/AIDS撲滅の宣教をHIV/AIDSと共に生きる人々(PWHA)への宣教同様に行うよう神から召命を受けています。 
 いつもの献金からの他に、教会や、団体、HIV/AIDS関連の協会が企画したHIV/AIDS プログラムを支援するための特別の献金を用意してみてはいかがでしょうか。

*頌栄

*祈り

*応答の賛美歌

*祝福と派遣

*後奏

6.赤いリボンとHIV/AIDS
  赤いリボンってなに?
  赤いリボンが国際エイズデーに持つ意味とは? 

 赤いリボンはAIDSについての認識を持っていますという事を示す国際的なシンボルです。PWHAに対して敬意を持っているということを示すシンボルです。そして、これは、AIDSと闘うすべての必要な事柄を絶え間なく続けることを私たちに思い起こさせるシンボルです。

  この赤いリボンは、1991年の初頭、ニューヨークにあるVisual AIDSによってAIDSと闘う全世界的なシンボルとしてつくられました。連帯のシンボル、そして公共の場においてたびたび差別されるHIV/AIDSと共に生きる人々への理解・寛容のシンボルです。

  赤いリボンの
◇「赤」は、愛ー情熱と寛容のシンボルです。
◇「赤」は、血ーAIDS で亡くなった多くの方々の痛みをあらわしています。
◇「赤」は、怒りー救命の余地のある病気に直面しているにもかかわらず、わたしちが手            をさしのべていないことへの怒りをあらわしています。
◇「赤」は、今私たちが直面している深刻な問題に対すして不注意や無関心によって知らないでいるこ  とへの警告のしるしです。
    赤いリボンをつけることは、あなたがAIDSと闘う第一歩を踏み出すこと!

 7.証言 

*「私の悲しみを知ってくれるのは孤独なPWHAだけ。」
     (PWHA=People living with HIV/AIDS  HIV/AIDSと共に生きる人々)

  ユーピンは5年間にわたって、エイズと共に、またエイズと闘いながら生きたの
でした。彼女には19歳の娘と10歳の息子がいました。

 診察結果が明らかになった後、彼女は世間から身を潜めることに懸命でした。
そして、自分の人生が終わりに近いということを認めようとしませんでした。
彼女が経験したのは、人から拒絶され、排除され、差別されることのつらさと痛み
でした。彼女が一人でそれに耐えなければならない必要はおそらくありませんで
した。しかし、世間の冷酷な仕打ちを彼女が感じたのは事実です。そして彼女は
残りの生涯を、孤独と悲惨の中で生きたのです。悲しみと、愛されない孤独、そ
して、人から忘れ去られる、ということがどういうことかを理解してくれるのは、
彼女のようなPLWAだけであろう、ということを彼女は信じていたのでした。

  ある時、彼女はドクター・サングワルンに手紙を書きました。彼女はその手紙
の中で、PLWAの人たちが住んでいる施設への訪問に自分を加えて欲しいという願
いをあらわしました。彼女は、その施設の人々が友人と、日常的な慰めの言葉を
求めているのを知っていたのでした。彼女が信じていたのは、自分のようなPWAの
人間はHIV/AIDSについて、信憑性のある効果的な教育者、カウンセラーであり、
またHIV/AIDSについて、患者を擁護したり、情報を広めたり、教育したりと
いうような活動に大きく貢献することが可能である、ということです。残念なことに、
HIV/AIDSについての教育やカウンセリングにの分野で彼女が役割を果たしたいと
望んだとき、彼女の容態は非常に悪化していてPLWAの人々を訪問することは
とても不可能な状態でした。

 彼女は前もって、自分の服を洗濯し、消毒し、アイロンをかけていました。それ
らの服を必要とする人々に与えたいと願っていたからです。彼女はそれらの服が
燃やされることのないように祈っていました。それらの服が彼女のウィルスを伝染
するということがないからです。

 彼女は友人、親戚が自分の葬儀に参列することを望んでいました。彼女は自分
の運命を深く悲しみました。しかし同時に、HIV/AIDSは人を選ばないのだから、
感染の危険を少なくするために試みられ、実証されてきた方法を、すべての人が、
注意深く実践する必要がある、ということを彼女は朗らかに警告しました。

 彼女はすべての人がPWA患者を訪問するよう願いました。この人々は孤独であり、
友情を求めているのです。 
2001年9月、痛み、苦しみからくる彼女のつらさは、人間の忍耐の限界を
超えたに違いありません。彼女は地域の墓地で自らの命を絶ったのでした。

 彼女の娘は現在、CCT AIDS 奉仕活動と、ホワイト・スカイ・プロジェクト
に携わっています。

 

             ================

  

*お母さんさようなら・・・
 簡単に死ぬわけにはいきません

「人生の入り口で、死を宣告されることは疑いようもなく、恐ろしく痛ましいことです。
22歳のマリーは、彼女と似た境遇にある人々と同じく、死に直面していることを
知っていながら、同時に、彼女を救い出すなんらかの治療法が開発さることを
期待しながら生きています。」 

 私の名前はマリー。カメルーン人です。家はお金持ちではありませんが、5人
きょうだいです。父は役場に勤めていましたが、18年前に亡くなりました。私が
4歳の時です。母は家政婦の仕事の傍ら小売業もし、私を育ててくれました。
2年前、私は一か月近く高熱を出して入院しました。病気の間、いろいろな検査
をしなければなりませんでした。検査の費用の足りないところはお医者さんが出
してくれました。

 2、3日して、私の採血をした看護婦さんがやってきて「明日散歩に行きま
しょう」と言いました。翌日、彼女は二人の人を連れてきました。その二人は私
をある部屋に連れてゆきました。そして、そこで私は、自分がAIDSウィルスの感
染者であることを告げられました。 

私が真っ先に感じたことは、ある種の驚き、といってよいかもしれません。というのも、
私がその病気に冒されるなんて考えたことがなかったからです。私はAIDSに
ついて聞いたことがありました。しかし、私はそれを性的な乱れと結びつけていました。
私には一人だけボーイフレンドがいました。私は彼のことがとても好きです。
彼は私の人生で、二人目の男性です。私は自分がこんなことになるなんて想像
できませんでした。というのも、私は妊娠も病気も怖かったので、彼とはセックスを
したことはなかったからです。デートが先、と思っていました。こんなに節制している
のに、なんでこんなことになってしまったのでしょう? 
病気が私を待ち伏せしていたに違いありません。

 次に感じたのは絶望です。私は中学校の最終学年を迎えていました。私の母は
ずっと、私の勉強、教育のために持っているものを全て注ぎ込んでくれました。
そうです。私は母の人生の全てをいただいたと言うことが出来ます。私には5人
の女きょうだいがいますが、だれも小学校卒業の資格をもっていません。ここでは
私が唯一の希望だったのです。私は絶望を感じました。私が4歳のとき、寡婦に
なった私の母はあまりにも多くの苦労を一身に引き受けてきました。その彼女の
努力の全てが今、無駄になろうとしているからです。

 私はこの新しい状況をみんなに知られたくないと思いました。みんなが私を笑い
ものにするように思ったからです。私は今22歳ですが、将来の計画を立てるべき
ときです。具体的に言えば、結婚して、子どもをもうけて、落ち着くとか。
しかし、このようなわけで私は行き詰まっています。第一に、私は母やその他の
家族のメンバーに、私がAIDSウィルスの感染者だ、ということを語る勇気をもっ
ていません。私は私のかつてのボーイフレンドたちにも語る勇気をもっていません。
彼らがおそらく私にうつしたのだと思うのですが。私は彼らを責めるつもりはありません。
意図的にそうしたわけではないでしょうから。

 あれ以来、私は恐ろしくなりました。こんなに若くして死んでしまうことが。
それも、想像する限り、一番恥ずかしい方法で。私は子どもに感染させることに
なるのではと心配したことを思い起こします。現在、私はどうにかこうにかウィルス
と共に生きてゆくすべを身に着けていますが率直に言えば、私は平安な気持ち
ではありません。一人のアフリカ人が、結婚することもなく、子どももいないのですから。
子どもをもうけても、感染によってすぐに死んでしまうとすれば、よけい悲しくなります。
もし私が普通に日常生活をしていたら、私に結婚を申し込むであろう、男性たちの
ことを想像します。そして私は彼らから顔を背けるのです。興味のないふりをしながら。

  私の話を聞いてくれているみなさん、特に、若いみなさんに、私は警告したい
のですが、どうか十分注意して、必要な予防手段をとってください。未来が閉ざ
されてしまった私のようになって欲しくないのです。私はもっとたくさんの若い人々が、
AIDSに対する闘いに加わってくれることを願っています。その中には、
感性についてのプログラムも含まれるべきです。

  希望のない人生に意味はありません。とはいえ、私は希望を抱き続けています。
感染の拡大を阻止する方法が発見され、まだ感染していない人々に対する予防
接種が可能になる日は遠くないだろうと。また、私のようにすでに感染した者が、
生き続けることができる治療法が開発され、すべての人に利用可能になることを
願っています。


(上記の2つの証言の翻訳は、日本基督教団佐渡教会の三村修牧師のご協力を得ました。) 

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