人種差別撤廃条約の経緯

 

 はじめに 

 我が国は、1995年12月15日、「あらゆる形態の人種差別に関する国際条約」に加入しました(1996年1月14日に我が国について効力が発生)。 この条約は、当時ネオ・ナチズムの活動がヨーロッパを中心に続発したこと、南アフリカにおいてアパルトヘイト政策がとられていたこと等を背景に、1963年の第18回国連総会において、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国連宣言」が採択され、その後、優先的にこの条約の起草のための審議が行われた結果、1965年の第20回国連総会において、全会一致で採択されたものです。

 この条約は、締約国が人権及び基本的自由の平等を確保するため、あらゆる形態の人種差別を撤廃する政策等を、すべての適当な方法により遅滞なくとること等を主な内容とするものです。既に日本を含め148ヶ国(1996年6月現在)により締結されており、国際的に見て普遍性を有するものとなっています。

 差別の撤廃については、法制度面のみならず、意識面、実態面においても不断の努力によって向上させることが大変重要です。この条約の前文にも謳われているように、すべての人間は自由、平等であり、いかなる差別もあってはならないことです。

 この冊子が、多くの方々の「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」の正しい理解の一助となり、また、一人一人が日常の生活の中で人権の尊重に対する意識を高め、いかなる差別もない社会の実現に向け努力してゆかれることを願っております。

 

 条約作成の経緯 

 人権の尊重は、国連が最も大きな関心を払ってきたことの1つです。例えば、国連憲章第1条は、国連の目的の1つとして、「人種、性、言語又は宗教による差別なくすべての者のために人権及び基本的自由を尊重するように助長奨励することについて、国際協力を達成すること」と規定しています。また、1948年に採択された世界人権宣言は、「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」と宣言しています。

 しかし、現実には、1959年〜60年にかけて、ゲルマン民族の優越性を主張して、反ユダヤ主義思想を扇動したりするネオ・ナチズムの活動が、ヨーロッパを中心に続発したほか、当時南アフリカ共和国では、アパルトヘイト政策による人種差別が行われていました。このような人種、民族に対する差別は、国連憲章や世界人権宣言に謳われている人間の尊厳や権利についての平等を否定するものであり、また、一国のみならず、諸国間の平和及び安全をも害するものです。

 こうした憂慮すべき事態が起きていたことを背景に、1960年の第15回国連総会において、社会生活における人種的、宗教的及び民族的憎悪のあらゆる表現と慣行は、国連憲章及び世界人権宣言に違反することを確認し、すべての政府がそのような慣行等を防止するために必要な措置をとるよう要請した「人種的、民族的憎悪の諸表現」と題するナチズム非難決議が全会一致で採択されたほか、植民地主義及びこれに関連する分離及び差別のすべての慣行を終結しなければならない旨の内容を盛り込んだ「植民地及びその人民に対する独立の付与に関する宣言」が採択されました。

 しかし、人種、民族に対する差別は依然として存在し、このような差別を撤廃するためには、法的拘束力のない決議のみでは十分でなく、こうした決議に加え、各国に対し、差別を撤廃するためのより具体的な措置の履行を義務づける文書の採択が必要とされました。

 こうして、1962年の第17回国連総会において、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する宣言案及び条約案の作成」に関する決議が採択され、1963年の第18回国連総会には、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国連宣言」が採択されました。その後、既に、「経済的、社会的及び文化的権利に関する国際規約」及び「市民的及び政治的権利に関する国際規約」の作成作業が行われていたにもかかわらず、「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約」の草案の起草のための審議が優先的に行われ、その結果、宣言の採択からわずか2年後の1965年、第20回国連総会において、この条約が全会一致で採択されました。

 この条約は、1969年1月4日に効力を生じ、1996年6月6日現在、日本を含め、米国、英国、ドイツ、フランス、カナダ、イタリアなど148ヶ国が締結しています。