投稿者 : webmaster 投稿日時: 2016-01-20 (826 ヒット)

伊藤剛士 NCC書記

情報化社会の発展に伴い、若者たちはその便利さの恩恵を受ける一方、様々な脅威にも晒されています。ニート・ひきこもりの若者は増え、ネットを使ったイジメは複雑・陰湿なものになっています。そして匿名のネット空間がヘイトスピーチの温床になっており、そこでキリスト教は「反日」「サヨク」とレッテルを張られ排他されようとしている現状は、もはや日本の青年伝道の観点からも看過できないでしょう。

私的な話で恐縮ですが、私はYMCAの学生寮の出身であり、また今も寮に住み込みで学生と関わりつつお手伝いをしています。人との関わりが避けられないこの寮生活で特に重視されているのは、聖書を土台とした開かれた対話です。毎日朝食前に聖書を輪読し、忌憚の無い活発な議論が行われています。

実は学生の大半が非キリスト者ですが、日々の寮生活の中で各々がお気に入りの聖句を見つけ、それが自己の思考や行動の核心に繋がった体験を彼らは語ってくれます。語弊があるかもしれませんが、信仰の有無に関わらず、彼らは聖書の御言葉を通し、自己と社会を真摯に見つめています。ここが、青年が若い日に主と「出会う」場になっていることは確かです。

「隣人とは」「平和とは」といった聖書からの問いは、国際化・情報化する現代社会において私たち若者に改めて問われているように思います。キリスト教学生寮はどこも小さき群れですが、そこから巣立つ若者たちが賜物を輝かせ「平和を作りだす人」として社会の中で用いられるよう祈りたいと思います。また、ここで主と出会った青年たちが、主を救い主と受け入れることができるよう、祈りたいと思います。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-12-09 (346 ヒット)

金 迅野 NCC書記

イエスの誕生の知らせを告げられた羊飼いたちは「野宿」していたとあります(ルカによる福音書2:8)。さしずめ現代都市なら「路上生活者」ということになるでしょうか。彼らは差別される存在で、中世においては賤民とされたといいます。

ところで、なぜ、「天使=よき知らせ」が、真っ先に彼らのもとに到達したのでしょうか。それは、彼らが、自分たちを差別する人々の羊の「見張り」をしながら、このような辛い時代はいつか克服される、そういう時がいつか必ず来る、そう願って「見張り役」「歩哨」のように、誰よりもずっと切実に、「よき知らせ」を「待って」いたからではないでしょうか。だからこそ、「知らせ」は真っ先に彼らのもとにやってきたのではないでしょうか。

聖書の羊飼いたちのように、「路上」に、あるいは保護の「外」におかれている存在はいまも存在します。パレスティナ、イラク、アフガニスタン、シリア・・・・・・この地にも、明日を望む希望をいま手にしていない人々が多くいます。そして、「自己責任」という言葉に駆り立てられて走り続けた歩みをふと止めてみたとき、気がつけば、心の中の希望がかすんでしまっている・・・・・・私も、あなたも、そのように感じることはないでしょうか。

しかし、「ここに希望がない」からこそ、希望の到来をほんとうの意味で「待つ」ことができるとも言えないでしょうか。「ここに希望が欠けている」からこそ、神さまが「ここ」に「希望」をもたらしてくださることを信じて心底「待つ」ことができると。

私たちのまことの「羊飼い」、イエス・キリストを、聖書の「羊飼い」のように心から「待つ」ことができる私たちでありたいと思います。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-09-24 (333 ヒット)

矢萩新一 NCC副議長
「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」(イザヤ2:4)
 
9月19日未明、多くの民意を無視して「安全保障関連法(戦争法)」が成立してしまいました。しかし、私たちには、すべての法律の上に更に憲法があることを忘れてはなりません。(戦争はしない・軍隊を持たない)と定めた「日本国憲法第9条」は一言一句変えられていません。また、憲法第12条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とありますし、第98条第1項には「この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、 詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」とあります。平和を愛する私たちは、従わなくてもよい法律だということになりますし、憲法違反であることを訴えていかなければなりません。武力による平和がありえないことは歴史が証明していることですし、まして核兵器や軍隊が抑止力になるはずがありません。政治や宗教が戦争を肯定してきた過去の反省に立ち、ニューヨーク国連前広場の壁に刻まれている世界最古の平和主義を貫く言葉、冒頭のイザヤ書の言葉が、「信仰による抑止力」として当たり前の世界標準になることを願います。真の抑止力は、一人一人の命がだいじにされる為に祈り、手を取りあって行動していく信仰なのだと、私は真剣に思うのです。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-07-17 (455 ヒット)

NCC副議長 渡部 信
 
 2015年6月、ドイツの首都ベルリンで「国際ギャザリング」が開催され、筆者も日程が出張と重なったため個人的に招かれた。この会合は、「世界平和の架け橋」を担おうとする、世界的なネットワークから推薦を受けた各国のクリスチャン政治家、実業家、諸団体の役員、個人参加者らによる集いである。開会式は、ドイツ連邦共和国国会議事堂内にあるドイツ社会民主党本部で行われた。参加した約60か国、200名強の中には、ロシア、ポーランド、ウクライナ、ハンガリー、セルビア、スロベニア、マケドニア、コソボ、ルーマニアなど旧共産圏からの、またリビア、エジプト、イラン、イラク、パキスタン、アフガニスタンなどのイスラム圏からの顔もあった。
 会合の主要なテーマは『政治・宗教的な違いを超え、世界平和を築くためにどのような貢献ができるのか』であった。この会議場の正面には、過去、人類が殺し合った戦史を象徴する一枚の大きな壁画が掲げられており、国会議事堂も旧東西ベルリンの境界線上に位置していた。参加者のスピーチの中には、日中間で生じた尖閣諸島の紛争危機の際、アメリカ政府の要請で中国に出向き、中国政府高官と一週間に渡り第一次世界大戦がいかに突発的な衝突で世界を戦争へと巻き込んだかを一対一で話し合い、偶発的な紛争を回避するために平和外交に尽力した一幕も披露され、筆者にとって印象に残るものであった。
 聖書の言葉、「自分を愛するように隣人を愛する」。全人類の共通する黄金律として、敵対する者にも仕えるサーバントシップの一面を「国際ギャザリング」で垣間見ることができた。NCCの働きも、「平和を構築する架け橋」の役割を担うことができればと願う者である。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-04-22 (1598 ヒット)

そこで、イエスは言われた。「剣を鞘に納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる。」 マタイ2652

小橋孝一 議長

 イエスを守ろうとして剣を抜いて大祭司の手下に打ち掛かった者を制して、主は「剣を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と断言されました。これは歴史の主の世界統治方針です。

 どのような理由があろうとも、武力によって立つ者は、たとえ一時的には成功したかに見えても、結局歴史の主にその罪を裁かれ、身を滅ぼす結果になるのです。

 大日本帝国は「富国強兵」のスローガンを掲げて、武力によって諸国を侵略・支配する罪を犯し、裁かれて滅びました。そして「剣を鞘に納める」誓いを内外に表明して、新しい歩みを始めました。

 しかし戦後70年、その誓いを破り、再び「剣を取る者」となるための議案が国会で議決されようとしています。再び「剣で滅びる」道に歩み出そうとしているのです。何と恐ろしいことでしようか。

 戦後の「平和の誓い」は、戦争によって自分たちが受けた苦しみによるもので、他国・他民族を殺し苦しめた罪の悔い改めによるものではなかったのではないか。その浅さが今露呈しているのです。

 日本社会の根底に潜む罪を今こそしっかりと見つめ、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」との歴史の主の御言葉に身をもって聴き従い、世に訴えなければなりません。


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