投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-07-17 (394 ヒット)

NCC副議長 渡部 信
 
 2015年6月、ドイツの首都ベルリンで「国際ギャザリング」が開催され、筆者も日程が出張と重なったため個人的に招かれた。この会合は、「世界平和の架け橋」を担おうとする、世界的なネットワークから推薦を受けた各国のクリスチャン政治家、実業家、諸団体の役員、個人参加者らによる集いである。開会式は、ドイツ連邦共和国国会議事堂内にあるドイツ社会民主党本部で行われた。参加した約60か国、200名強の中には、ロシア、ポーランド、ウクライナ、ハンガリー、セルビア、スロベニア、マケドニア、コソボ、ルーマニアなど旧共産圏からの、またリビア、エジプト、イラン、イラク、パキスタン、アフガニスタンなどのイスラム圏からの顔もあった。
 会合の主要なテーマは『政治・宗教的な違いを超え、世界平和を築くためにどのような貢献ができるのか』であった。この会議場の正面には、過去、人類が殺し合った戦史を象徴する一枚の大きな壁画が掲げられており、国会議事堂も旧東西ベルリンの境界線上に位置していた。参加者のスピーチの中には、日中間で生じた尖閣諸島の紛争危機の際、アメリカ政府の要請で中国に出向き、中国政府高官と一週間に渡り第一次世界大戦がいかに突発的な衝突で世界を戦争へと巻き込んだかを一対一で話し合い、偶発的な紛争を回避するために平和外交に尽力した一幕も披露され、筆者にとって印象に残るものであった。
 聖書の言葉、「自分を愛するように隣人を愛する」。全人類の共通する黄金律として、敵対する者にも仕えるサーバントシップの一面を「国際ギャザリング」で垣間見ることができた。NCCの働きも、「平和を構築する架け橋」の役割を担うことができればと願う者である。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-04-22 (1247 ヒット)

そこで、イエスは言われた。「剣を鞘に納めなさい。剣を取るものは皆、剣で滅びる。」 マタイ2652

小橋孝一 議長

 イエスを守ろうとして剣を抜いて大祭司の手下に打ち掛かった者を制して、主は「剣を鞘に納めなさい。剣を取る者は皆、剣で滅びる」と断言されました。これは歴史の主の世界統治方針です。

 どのような理由があろうとも、武力によって立つ者は、たとえ一時的には成功したかに見えても、結局歴史の主にその罪を裁かれ、身を滅ぼす結果になるのです。

 大日本帝国は「富国強兵」のスローガンを掲げて、武力によって諸国を侵略・支配する罪を犯し、裁かれて滅びました。そして「剣を鞘に納める」誓いを内外に表明して、新しい歩みを始めました。

 しかし戦後70年、その誓いを破り、再び「剣を取る者」となるための議案が国会で議決されようとしています。再び「剣で滅びる」道に歩み出そうとしているのです。何と恐ろしいことでしようか。

 戦後の「平和の誓い」は、戦争によって自分たちが受けた苦しみによるもので、他国・他民族を殺し苦しめた罪の悔い改めによるものではなかったのではないか。その浅さが今露呈しているのです。

 日本社会の根底に潜む罪を今こそしっかりと見つめ、「剣を取る者は皆、剣で滅びる」との歴史の主の御言葉に身をもって聴き従い、世に訴えなければなりません。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-02-27 (436 ヒット)

平岡仁子 NCC書記  

ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。(ガラテヤの信徒への手紙 3章28節)


元ドイツ大統領のリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカーが、1985年に行った演説は世界に感銘を与えました。そして、その演説の中には次のような言葉がありました。「若い人たちにお願いしたい。他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。敵対するのではなく、互いに手を取り合って、生きていくことを学んでほしい。」人々が再び敵意と憎悪に駆り立てられることがないようにと30年前に語られたこの言葉は、昨今の世界の状況においてもまた、タイムリーな言葉と言えるのではないでしょうか。何故なら、世界は人々を敵意と憎悪に駆り立てようとしているかのように見えるからです。しかしここに、人間の敵意と憎悪に打ち勝った一つの道が示されます。「ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにおいて一つだからです。」
キリスト・イエスによる一致は、この世の敵意や憎悪に打ち勝った赦しと愛による一致です。この一致はこの世が作り出す様々な社会の格差や優位性を無意味なものとし、それらによって苦しむ人々に救いと慰めを与えるのです。そして洗礼は今、キリストと結ばれた私たちを一つとし、敵意や憎悪ではなく、世界が愛と赦しに生きるため、私たちを遣わします。


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2015-01-08 (399 ヒット)

加藤 誠 NCC副議長

「体は殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイによる福音書10章28節)

 最近、「戦後七十年」を迎える日本を確実に覆い始めている「歪み」をいろいろな場面で感じます。例えば、札幌のH学園大学で講師を勤める元新聞記者に対する過剰で醜いバッシング。本人や家族、そして大学にまで脅迫や嫌がらせを繰り返す精神性の未熟さ。当初「大学の自治をおかす暴力に抵抗する」と表明していた大学も、三千件近い脅迫や嫌がらせの電話・メール対応のため、警備関連費用が二千万円を超えることとなり、「大学と学生を守るためには元記者の雇い止めを考えざるを得ない」という事態に追い込まれました。かつての「戦前」も、このようにして思想や宗教が弾圧され沈黙を強いられていったのかと暗澹たる気持ちにさせられます。幸いにも市民たちの「暴力に屈するな」との声に背中を押されて大学は雇用継続を決めましたが、今春の入試に悪影響が出ようものなら問題が再燃しかねない状況です。

 確実に今、私たちは「戦前」を歩んでいます。「戦争をしたい」人たちの言葉は巧みです。「世論」は一晩でひっくり返ります。この「戦前」において、キリスト教会は何に根ざし、何を語るのか。「体は殺しても魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。むしろ、魂も体も地獄で滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ10:28)。何を恐れ、何を恐れてはならないのか。十字架を背負い、私たちの前を歩まれた方の背中から目を離さずに、その声を聴き続けていきたいと願います。

 

 


投稿者 : hiram 投稿日時: 2014-11-01 (404 ヒット)

 渡部 信 NCC 副議長  

 私は1カ月前に仕事でエルサレムを訪問し、再びイエスの足跡を辿る機会を得ました。1948年の建国以来、イスラエル国の首都エルサレムはユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒、アルメニア教徒の暮らす4つの住居地に分割された複雑な街となっています。  イエスの時代も、エルサレムの街には祭司長グループの元にサドカイ人、ファリサイ人の分派があり、ローマ帝国の総督ピラトがおり、ヘロデが国を治めていました。現在と変わらない様々な利害関係の渦巻く複雑な街であったことは、ご存じの通りです。
イエスはどんな思いでこのエルサレムに入城されたのか、とふと考えました。複雑な人間同士の敵対関係を解消するために、その憎しみの感情を一手に身に負い受容なさるために選んだ道、それがドロローサの道です。  使徒パウロがエフェソの手紙2章で、「十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。(16節)」と述べている通りです。 NCCの働きは、このみ言葉を土台にしています。「遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げしらせられました。(17節)」というメッセージを掲げながら、キリストにある同労者と共にこの福音を携え、歩んで行きたいと思います。


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