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フィリピンで続く政治的殺害 - 2007年3月までのまとめ(3)

(真野玄範)

2007年1月30日、メロ委員会は大統領に報告を「正式に」提出した(実際にはもっと早く提出されていた)。

メロ委員会の報告は、政治的殺害を命ずるような国家政策は存在せず、アロヨ大統領の「全面戦争」宣言は政治的殺害の激増には無関係であると断定的に述べて反乱鎮圧政策や大統領の責任に言及をせず、また犠牲者の遺族やカラパタンなどの政治的殺害の問題を追及する諸団体の協力拒否が真相究明を妨げていると非難し、協力拒否はそれらが「共産党のフロント組織」だとする国軍の主張を証しているようなものだとまで言って批判している点では、従来の政府の主張と同一線上のものであった。

しかし、国軍や国家警察による説明、すなわち超法規的処刑の多くはNPAの粛正によるという主張については、論理が矛盾しており、示されている証拠は信頼できず、劇的な増加を説明することもできないし、そもそもパルパラン元少将さえも殺害がCPP-NPAによるものだとする理由はないと言って否定している、とした。その上で、考えられる唯一の説明は、国軍の分子や国軍に繋がる者に責任があるとするものであって、実際、殺害の多くはよく組織され、十分に装備された者による犯行と見られ、組織的、計画的にそれを行うことができるのは国軍だけであり、国軍には申し立てられているような殺害を行うために必要な全ての条件が揃っており、また国軍が駐留している地域で殺害が起こっている事実は否定できないとした。そして、ホビト・パルパラン元少将は本人が認めた公の場での発言だけをもってしても「指揮命令の責任」が問われるべきであること、反乱鎮圧政策が法の支配と一般市民の命を犠牲にすることは許されないことを強調して、報告は締めくくられている。

「共産主義者の反乱は対処されなければならないが、それに対する戦いは憲法と法律を犠牲にしてはならず、強調するまでもないことだが無実の市民の命を犠牲にしたものであってはならない。軍隊は、国家の内部にある国家ではなく、その構成員は憲法および諸法令の支配の外に置かれているわけではない。我が国の政府は、人の支配でなく、法の支配を原理としている。」(メロ委員会報告79頁)

「人々に対して国家の敵であると宣言することは、事実上、有罪を宣告することであり、そのような宣言を行った者たちは法廷と行政執行機関が持つべき権力を不当に自らのものにして使ったのである。」(同報告82頁)

同日、アロヨ大統領は、メロ委員会の報告を受けて、以下の6項目の実施を命じた:


  1. メロ委員会が、政府諸機関と協力して活動を継続すること。
  2. 国防省と国軍が、その指揮命令の責任の原則に関して報告すること。
  3. 司法省と国防省は、国家人権委員会と協力して、共同の事実調査団を組織し、原因不明の殺害事件への関与が申し立てられている軍関係者について追究し、起訴すること。
  4. 司法省は、思想信条や政治に関わると思われる原因不明の殺害事件の全ての証言者が含まれるように、証言者保護プログラムの対象を拡大すること。
  5. 最高裁判所は、思想信条や政治に関わると思われる原因不明の殺害事件を扱う特別法廷を設置すること(各地の既存の裁判所の中で政治的殺害のケースを優先的に扱う法廷を指定する)。
  6. 外務省は、欧州連合、スペイン政府、フィンランド政府、スウェーデン政府に対して、メロ委員会の働きの支援を求める提案書を送ること。

ただし、このメロ委員会の報告は公開されず、上院は公開要求を決議。その翌日、2007年1月31日に大統領が行った演説では、「政治的殺害の多くがNPAの粛正による」という国家警察の特別捜査班の調査結果が強調された。それはメロ委員会の調査によって明確に否定されているにもかかわらず、である。また「共産主義者のフロント組織が報告する件数と警察の記録の間には矛盾があり、殺害されたはずの2人が生きていた事実が判明した。人権の尊重を謳う者によるそのような行為にはがっかりさせられる。そのことが意味することを十分に受けとめなければならない」と言って、政治的殺害に関するキャンペーンで中心的な働きをしてきたカラパタンを批判、誹謗した。

2007年2月21日、国連人権理事会のフィリップ・アルストン特別報告者は10日間の調査を終えて記者声明を発表し、超法規的殺害に対するフィリピン政府のばらついた対応を指摘した。「最高首脳レベルでは問題の深刻さを認めているが、行政府の責任者レベルでは見解が分かれて満足のいく対応でないことも多く、行政の現場レベルでは申し立てに対して憤慨の入り混じった疑義が立てられることがあまりにも多かった」。

そして今後の課題として以下の6点を挙げた:


  1. 国軍がその関与が明白である数多くのケースに対して責任ある対処の必要があることを完全に否定し続けている態度を改めること。
  2. フィリピン政府は1月下旬に提出を受けながら公開を拒んでいるメロ委員会の報告を直ちに発表すべきであること。
  3. 政府諸機関が説明責任を果たしながら働く在り方を回復する必要があること、特別捜査班ウシッグとメロ委員会の報告は十分でないこと、2005年9月26日に出された大統領令464号が大統領の許可なしに閣僚、警察、国軍、治安関係の責任者が議会で証言することを禁止していることで、議会による調査が非常に難しくなっていること。
  4. 不処罰の文化が蔓延して司法のシステムが機能していないこと、それは治安維持の責任者がしばしば犯行に関わっていることが疑われていることもあって証言に立てば殺害されるといった恐れが一般化しているためであること。
  5. 「左派団体」の合法的な政治活動を認めること、議会ではパーティーリスト制や反国家転覆法の放棄が覆されていないにもかかわらず、ラモス政権時代の和解政策はすっかり放棄され、政権が国軍の支援によってパーティーリスト政党の活動を妨害していること、NPAの打倒よりはフィリピン共産党が掲げる政策を支持する合法的諸組織を潰そうとするものであり、それが現場では超法規的処刑に訴える結果になっていると見られること。
  6. 反乱鎮圧政策を見直す必要があること、近年の超法規的処刑の増加は、幾つかの地域での反乱鎮圧の戦略が原因となっており、左派団体の中傷や指導者の脅迫が超法規的処刑にエスカレートしていると見られること。

この記者声明について、フィリピン政府の司法長官をはじめとする閣僚たちは、「アルストン氏は共産主義者に洗脳された」「政府の立場を理解していない」「特別報告者は国連の中で大した権威を持っているわけではない」などと放言を繰り返し、拒絶の態度を露わにした。アロヨ大統領も、国際社会に対して取り組んでいることを示すための「命令」を出しつつも、実際には国軍や国家警察の戦略に依拠した発言を続けており、政治的意思の誠実さが疑われよう。申し立てられている内容を矮小化して取りたてて騒ぐような問題ではないとアピールし、政治的殺害の犯行責任についてはNPAの内部粛正説と国軍内のごく少数の犯罪的分子への責任転嫁し、犯人が一向に裁かれないことについては目撃者、遺族、および独自調査を行った人権団体の非協力が原因であると責任転嫁して切り抜けようとしているのである。

そのような政府に対して、カラパタンをはじめとする政治的殺害に関する抗議行動を行ってきた諸団体や遺族が協力を拒絶し、国連人権理事会やILOによる調査と勧告、常設民衆法廷による道徳的援護など、国際社会の介入に期待を寄せる行動を取り続けているのは無理のないことのように思われる。政治的殺害に関する裁判が進むように各地に特別法廷を設けたといっても、そもそも基本的な捜査さえもろくに行われてこず、関与が完全に明白であるケースについてさえも国軍は関与の否定を続けているというのに、いかにして告訴が実現するというのだろうか。

5月に予定されているアルストン特別報告者による最終報告の結果、どのような決議が取られようとも、それに強制力はない。しかし、決議ばかりが積み重ねられた観のあった人権委員会に替わって国連の人権に関する働きの強化を目的に設置された人権理事会において、自ら立候補して理事国になった比政府には特に厳しく説明責任が求められていることを、国際社会は示さなければならないだろう。同じく理事国である日本は、国連改革の観点からも、比政府に対する働きかけを考えることが求められているのである。

なお、アルストン特別報告者の10日間の滞在中、フィリピン政府が犠牲者遺族からの聞き取りのために組んだスケジュールは2月14日の丸1日と、バギオ市とダヴァオ市への短い訪問だけであった。犠牲者遺族からの聞き取りが行われる場所は秘密にされていたが、当日は爆弾をしかけたという脅迫があって警察犬が投入されたり、聞き取りの最中にジャーナリストと称する男が犠牲者の家族との面会を求めてくるなどの不審事が続いた。なお、その男が連れだってきた1人は後にカラパタンによって国家諜報調整局(NICA)員と確認されている。また、アルストン氏の訪比直前の2月8日と滞在中の2月15日にも政治的殺害が起こり、また3月10日にはアルストン氏に証人として会った女性が殺害され、まるで国連特別報告者の訪比を嘲笑うかのように政治的殺害は続いた。

2007年3月6日、「人間安全保障法」という名のテロ対策法が成立(実施的な実施は2007年7月から)。

2007年3月14日、政治的殺害に関して米国上院外交委員会で公聴会が開かれ、エリック・ジョン米国務省副次官補はフィリピン国軍の関与と大統領に指揮命令責任があることを明言、24日には4月にフィリピンを訪問することを発表した。

2006年2月15日の逮捕以来、アナクパウィス党のクリスピン・ベルトラン下院議員の監禁が続いているが、2007年3月16日にはバヤンムナ党のサトゥル・オカンポ下院議員が逮捕された。22年前のNPAによる粛正事件への関与が容疑内容である。しかし、当時、戒厳令下でオカンポ氏は軍によって監禁中であって関与できるはずがなく、「最近になって発覚した」とするその粛正事件自体も政治的殺害に関する国軍の対処戦略と5月の選挙を控えての野党を分裂させる戦略が見え透いていて、でっち上げの疑いが強い。

オカンポ氏が逮捕された数時間後、バギオ市にあるフィリピン士官学校でアロヨ大統領はテレビカメラと卒業生に向かって、「世界が注目しているのはフィリピンの素晴らしい経済成長ばかりでない。テロの脅威を防いで民主主義が機能するようにしている私たちの働きも注目を浴びているのである」と述べたのであった。


「まるで強盗にでも向かうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。わたしは毎日、神殿の境内に座って教えていたのに、あなたたちはわたしを捕らえなかった。」(マタイ26:55-56)…アルベルト・ラメント師父を偲びつつ。

フィリピンで続く政治的殺害 - 2007年3月までのまとめ(2)

(真野玄範)

(1) ハシエンダ・ルイシータでの虐殺~農地改革と政治的殺害
(2) 先住民族、1995年鉱山法と政治的殺害
(3) 労働組合の弾圧と政治的殺害
(4) 国際的な関心の高まりとフィリピン政府の対応


(1) ハシエンダ・ルイシータでの虐殺~農地改革と政治的殺害

カラパタンによる分野別の被害者数を見ると、農地改革関係が突出して多く、408人が政治的殺害に遭っている(2001年1月~2006年12月)。

2004年11月16日、コラソン・アキノ元大統領の一族コファンコ家がルソン島中部のタルラックに所有するルイシータ大農園(ハシエンダ)で、ゲートを塞いでストライキを行っていた6000人の労働者とその家族に向かって、労働雇用省長官パトリシア・トーマスの命令で派遣された国家警察と国軍の混成隊1000人が無差別発砲をしながら襲撃し、催涙ガスによって窒息死した2歳と5歳の幼児を含む14人が殺害され(内7人は後日死亡)、181人が重軽傷を負う虐殺事件が発生した。

国家捜査局は、証言と弾丸の線条痕テストに基づいて国家警察のメンバー9人の訴追を勧告したが、国軍兵士は労働雇用省職員の目撃証言があったにもかかわらず罪を問われず、1年後には国家警察の内部調査の結果として9人の告訴も行われないことが決められた。

虐殺から3週間後の12月8日、上院と下院で証言した小作農組織の議長マルセリーノ・ベルトランが軍服の男に自宅前で射殺され、4ヶ月後の2005年3月13日には、ルイシータ大農園の労働者を支援していたフィリピン独立教会のウィリアム・タデナ司祭が殺害された。同じく支援者であったタルラック市議のアベラルド・ラデラ氏の暗殺に続き、虐殺事件後10人目の犠牲者であった。10月25日にはストライキで指導的役割を果たしてきたリック・ラモス氏が射殺された。地元警察は2人の国軍兵士を容疑者としたが、2人が逮捕されることはなかった。その後も関係者の殺害は続き、虐殺事件後に殺害の脅迫を受けるようになっていたフィリピン独立教会の元首座主教であったアルベルト・ラメント主教までもが、2006年10月3日に殺害された。

ルイシータ大農園はフィリピン随一の規模で(6000ha以上)、その労働者はスペインの植民地時代から代々土地を耕してきた人々である。客家のコファンコ家が1957年にスペインの会社から購入した。代金は政府の保障と融資で支払われ、10年後には農園に住む小作農たちに土地を分配することが条件とされた。しかし、コファンコ家は約束を守らず、1985年には法廷から約束の実行を命令されている。ところが「民衆革命」によって大統領となり、農地改革の遂行を期待されていたアキノ大統領は、土地分配の代わりに農園を企業化して株式を配る方式(SDO)を選択肢として認め、コファンコ家による実質的な所有継続を可能にし、フィリピン全体の農地改革の流れを著しく滞らせてしまったのである(コファンコは出身地のタルラックだけでなく、パラワン諸島、ネグロス、ミンダナオなどに、他にも広大な土地を所有している)。その後、「株主」への配当金支払いは不当に低くなるように計算された少額が払われただけであり、しかも農園の土地は「株主」の小作農たちの意見を聞くこともなくショッピングセンターやゴルフ場、そして工業団地にされ、既に半分近くが転用されてしまっている。ちなみに工業団地には日本企業のサンヨーが入り、後にアキノ元大統領が会長になっている。工業団地への転用はさらに進められる計画であり、政府もスービック、クラーク、タルラックを結ぶ高速道路建設を計画して、外国の企業と資本の呼び入れによる経済振興策に利用しようとしている。

この、いわばフィリピンの土地改革政策と経済振興策を象徴する位置にあるルイシータ大農園で、農地改革法の穴(SDO)を取り消し、土地を分配するよう求める激しい闘争が起こったために、ルイシータの農園主や他の大地主のみならず、政府がこのストライキに過敏に反応したのである。砂糖精製工場の労働組合にとっては1日当たり100ペソ(約220円)の賃上げ、小作農組織にとっては議長と副議長を含む327人の解雇取り消しが、主な要求であったのだが。トーマス労働雇用省長官は、「この抗争は国家の利益を明らかに害している」と言って国軍と国家警察の投入を正当化した。国軍および国家警察は、このルイシータ大農園の「大虐殺」はNPAの犯行であり、農園のストライキを全国的な反乱蜂起に発展させようとするフィリピン共産党の謀略事件であると「論証」し、その後の反乱鎮圧作戦でプロパガンダに用いている。(この「論証」はフィリピン国軍北ルソン指令部が発行した『三位一体の戦争』第3巻に書かれている。この本は、2005年7月に世界教会協議会の連帯訪問団の一員として調査に入った鈴木伶子NCC議長(当時)が国軍からプレゼントされたものである。)

なお、その後、農地改革省(DAR)は、2005年9月末にルイシータ大農園の株分配オプション(SDO)の無効化と農地改革法による土地再分配の対象とすることを勧告し、大統領直属の農地改革評議会(PARC)の認定委員会が、2005年12月20日、その勧告の採択を決議するという展開となった(Res.2005-32-01)。ルイシータ大農園は国に接収され、数十年間土地の権利書を所有していた農園労働者たちに分配されることになったのである!また、2005年12月8日には、1年以上も続いたストライキの末に、農園主側は砂糖精製工場と農園労働者の主な要求をのんだ合意書に調印した。しかし、コファンコ家の反攻も急で、2006年6月14日、最高裁から前記決議の実行中止命令を引き出し、今に至っている。

一連の経緯を見ると、ストライキの波及と激化を防ぐ宥和策、および大統領選挙不正疑惑の追及などアロヨ大統領批判を続けるコファンコ一族のアキノ元大統領への牽制策として、政治的駆け引きの一過程として、実現への意思はなく「SDOの無効化と土地再分配」勧告が採択されたのではないかと思われてならない。


(2) 先住民族、1995年鉱山法と政治的殺害

農地改革関連に次いで多くの政治的殺害の被害者を出しているのは先住民族で、カラパタンによると75人である(2001年1月~2006年12月)。フィリピン先住民族人権監視団(IPHRW-Philippines)は、同期間に先住民族で殺害が記録されたケースは97人であり(43人がミンダナオのLumad、14人が南タガログのDumagat/Remondado, Mangyan、34人がコルディリェラのIgorot、6人が中央ルソンのAeta)、少なくともこの中の17人は政治的動機による超法規的処刑の被害者であるとしている。

背景には、「全ての天然資源は国家によって所有される」とする憲法に基づき、1995年鉱山法によって先住民族が多く住んでいる土地の投げ売りが始まったことがある。鉱山開発は立ち退きを伴うため、生計手段を奪われ、環境破壊による健康被害が起きるだけでなく、文化・伝統の破壊にもなる。なお、先住民族の土地は都市から遠く離れているためか、事件が起きてもあまり報道されていない。

2005年7月に世界教会協議会の連帯訪問団の一員として私が訪ねたミンダナオ島カラガ州スリガオデルスルでのケースを紹介する。

カラガ州は森林資源と鉱物資源が豊かでありながら、フィリピンで最も貧しい地域の一つである。住民の多くが先住民族のマノボ族であり、農業を営み、山地に暮らしている。外から収奪の手が入ったのは1950年代で、米国系の木材業者が入ってきた。金、石炭、鉄、クロームなどが豊富で、現在、多くの開発が申請されている。

2005年4月1日、スリガオデルスルのハンアヤン村に、突然、58人の国軍兵士が現れた。翌々日、別の部隊の兵士59人が現れ、アンダップ峡谷に向かった。4月4日、国軍兵士が再び現れ、住民を捕まえ、近辺に新人民軍がいないかを尋問。村人3人を強制的に道案内として連れ去った。3人は部隊のキャンプに着くと解放され、家に帰ることを許された。これが前触れだった。

同月28日、兵士を満載した大型トラック11台が現れる。朝8時、3人の村人が兵士に捕まり、新人民軍のキャンプの所在地やメンバーを聞き出すのが目的の尋問が行われた。翌日も別の2人の村人が尋問を受けた。尋問は拷問を伴った。殴られ、蹴られ、着ていた服で縛られ、轡をされ、殺すぞと脅迫されながら、尋問される。「NPAはいるか」「いない」「犯罪者はいるか」「いない」「活発な組合はあるか」「ある」「活発な学校はあるか」「ある」「ならばNPAがいるに違いない」…。4月30日、朝10時頃、村人たちが畑仕事をしていると14人の兵士が現れ、男性と女性・子どもを分け、尋問が始まった。女性と子どもは銃を突きつけられ、生きたまま土に埋めるぞと脅迫された。我々は15人の村人から次々と証言を聞いたが、その中に土に10歳の男の子がいた。素手で自分の墓となる穴を掘らされ、その中に座らされ、ナイフを首に当てられ、「どうせ大きくなったらNPAになるのだから、今殺してやる」と脅されたという。重い口を開き、ポツリ、ポツリと小さな声で話してくれるのを聞きながら、訪問団のメンバーで涙を押さえられる者はいなかった。この子は今でも恐ろしくて畑に出られず、家に籠もる毎日だという。この数日間に理由もなく射殺された者が何人もおり、道案内として連れ去られて未だに行方不明の者(強制失踪)が4人いる。家族は地域の国軍駐屯地を訪ねまわって探しているが、未だに不明である。畑や家を焼かれて失った人、神経に異常を起こした人もいる。

5月3日、2機のヘリコプターが現れ、アンダップ峡谷周辺にマシンガンと爆撃の音が響き続けた。5月9日、村々の強制退去が始まった。合計316家族、2241人が山を降り、教会やカラパタンが避難所を作った。同月17日、地方議会、駐留部隊、教会の代表者、判事らが集まって、「平和と秩序を回復する会議」が開かれ、国軍は強く反対したものの、軍事行動の中止と、住民の帰還が決議された。そして、5月19日から24日にかけて村人たちは家に帰ることができたのである。しかし、いつまたヘリコプターの音が響くかと、村人たちは今でも恐怖の中で生活している。

スリガオデルスルで行われたこの軍事行動は、地方政府には事前に知らされていなかったという。軍事行動の目的は新人民軍の掃討であると事後に言われているが、この地域で新人民軍と地方政府の衝突は近年は起きておらず、時期の説明がつかない。一方、2004年にアロヨ大統領がこの地域を木材業の地域と宣言しており、また2005年1月に最高裁判決が覆って1995年鉱業法が合法化されて鉱山開発が外国企業に開かれたため、現地では、住民の強制退去と開発の地ならしが目的であったと考えられている。

比経済は対外債務を抱えて危機的で、政府は外国からの外貨呼び込みに躍起になっている。そこで鍵の1つとされているのが1995年鉱業法である。潜在力の高い鉱業を経済成長の原動力にしたいのである。1995年鉱業法は「持続可能な鉱業開発」を掲げ、地域住民保護と開発の促進の両立を建前としている。地方分権の原則や先住民族の権利尊重の原則も含み、それは憲法に反すると鉱業界の抗議を受けた程だが、比政府はそれに対応して先住民族の土地内における鉱業権の権利を認める補則ガイドラインを1998年に作り、既に許可された鉱業権は権利として承認・尊重されることを定めた。また、先住民族の合意書取得の要件を満たすために、反対派の融和や住民の合意獲得のために違法行為や暴力が使われる結果となっている。スリガオデルスルのハンアヤン村では町の議員が買収工作の実態を証言してくれた。開発促進のための税的インセンティブ強化と外資規制緩和は功を奏し、日本を含む多国籍企業による多くの開発申請を呼んでいる。政府は鉱山問題に関わる実態を知りながらそれを容認し、住民の反発を抑えつけるために、鉱山開発の対象地に多くの国軍部隊を駐留させている。その中で政治的殺害や強制失踪が続いているのである。

2005年5月12日、フィリピン合同教会の東北レイテ教区の監督、エジソン・ラプス牧師が殺害された。ラプス牧師は、1995年鉱業法に関する地域会議の準備を進めていた最中であった。

WE21ジャパンは、支援をしてきたベンゲット州が、その2/3の地域を鉱山開発申請対象とされ、環境と住民の生活が脅かされるようになったため、鉱山問題に関する提言活動の支援を行っている(『フィリピン・ベンゲット州 鉱山問題調査報告書』(2007年2月)が最近出された)。ベンゲット州を含むコルディリェラ地方では、2001年から現在までに、前号で言及したホセ・ドートン氏を含めて4人の活動家が殺害され、1名が襲撃を受けて命をとりとめている。

なお、フィリピンのほぼ全域にわたる鉱物資源の調査は、日本のODAによって行われたことも覚えておきたい(1975-77, 1984-89)。


(3) 労働組合の弾圧と政治的殺害

在フィリピンの各国商工会議所が政治的殺害に歯止めをかけるようフィリピン政府に呼びかける異例の共同声明を出した(日本人商工会議所も名前を連ねたが、他の共同声明はそのホームページに掲載しているにも関わらず、この声明は掲載していない。)。それに続いてウォルマート、GAP、ポロ・ラルフローレンなどの米国系衣料品企業も同様な共同声明を出した。

これは、カビテ輸出加工区内の製造を委託している2つの衣料品工場で9月から10月にかけてストライキ中の労働者が警察によって暴行を受けて解散させられる事件が連続して発生して国際的な注目が集まったこと、またカビテ輸出加工区の労働者支援にも力を入れていたフィリピン独立教会のアルベルト・ラメント元首座主教が10月3日に殺害される事件が起きて国内外の教会からの激しい非難が巻き起こったことによる。

カビテ輸出加工区は日本のODAによって作られ、開発支援のモデルケースにされているが、「ノー・ユニオン、ノー・ストライキ」政策が実施されており、労働者は劣悪な住環境、労働条件を強いられている。ラメント主教が運営委員長を務めていた「労働者支援センター」は、厳しい弾圧をかいくぐって労働者の中に入り、労働者の教育や組織化を進めてきた。(詳しくは「"貧しい農民と労働者の司教"アルベルト・ラメント師父の殉教 」参照:http://ncc-j.org/diarypro/archives/175.html

前記の米国衣料品企業は声明の中で、「私たちは、工場で働き私たちの製品を生産している者は、自由に集まる権利、自分が選んだ団体に加入する権利、不法な妨害を受けずに団体交渉をする権利を持っていると強く信じている。労働者は、物理的な暴力や危害の恐れがない環境で働き、生活をすることができなければならない」と主張している。本来は当然であるべきこれらのことが、わざわざ確認されなければならない実態があるのだ。

フィリピンは、開発体制の集団的労働法を取っており、労働組合の強制登録制度があって未登録組合は違法とされ労働組合としての活動を否定され(1987年労働法典234条)、労働争議の強制仲裁制度を持ち(1987年労働法典263条(g))、労働協約の認証制度を設けている(1987年労働法典231条)。これらによって労働組合の「行動の自由」を実質的に規制して(全労働者に占める組合組織率は約8%)、外資の直接投資を誘致しているのである。さらに、カビテ州では、誘致企業への雇用に紹介状を必要とすることとし、そのときの「私的な」誓約書に労働組合参加とストライキ参加はしないことを書かせて、「産業平和」を実現してきたのである。

それに加えて、日系企業はフィリピントヨタ労組をめぐる紛争に見られるように、団体交渉に不当に応じなかったり、比政府に迅速な解決のための介入を求め、比政府はそれに応えて正当な組合活動を治安問題として物理的暴力で抑える対応を取るという構図がある。そんな中で、政治的殺害が起こっているのである。


(4) 国際的な関心の高まりとフィリピン政府の対応

フィリピンで悪化する人権状況に国際的な関心が高まり始めたのは、ルイシータ大農園の虐殺事件の頃からではないだろうか。私の場合は、たまたまその約1週間後にミンダナオで開催された「いのちのための平和・民衆会議」で、アルベルト・ラメント師父から生々しい現場の証言と共に「マルコスの時代でも、現在ほど公然と国家が民衆を殺戮することはなかった」と聞いて、アロヨ政権下の人権状況に注目するようになった。

2005年1月に入ると、毎日のように誰かが殺害されたという知らせがフィリピンから入るようになった。2月1日、アムネスティ・インターナショナルは、「殺害事件の頻度が2000年以降、年々上がっており、2005年に入って最初の数週間で急に増え、新聞報道によると少なくとも34人が殺されている」と警告した。

急増する政治的殺害を受け、フィリピンの様々な市民団体が海外からも弁護士や活動家を招きながら個々のケースに関する事実調査団を共同で組織し、また国際ジャーナリスト連盟(IFJ)の事実調査団(2005年1月)、世界教会協議会(WCC)の連帯訪問団(2005年7月)、オランダとベルギーの法曹関係者による調査団(IFFM)(2006年6月)、国際小作農連帯訪問団(IPSM)(2006年8月)などが現地に入って報告を出し、アムネスティ・インターナショナルが2006年8月にフィリピンで続く政治的殺害に焦点をあてたレポート(ASA 35/006/2006)を出して国際社会の注意を喚起した。また各国の諸教会や人権団体などによる調査団の派遣(日本キリスト教協議会(NCC)-2006年7月、香港の市民団体合同調査団-2006年7月、カナダの市民団体合同調査団-2006年11月など)、懸念の表明が続いた。

国内外の圧力が高まる中で、アロヨ大統領は、2006年5月13日、「10週間以内に、10件の政治的殺害について立件し、10人の容疑者を逮捕せよ」と命じて、内務自治省に政治的殺害に関する国家警察の働きを統合する特別捜査班ウシッグ(Usig)を設置させた。

2006年7月24日には教書演説で政治的殺害を「最も厳しい言葉で非難」。ただしその演説の直前箇所で、多くの政治的殺害を引き起こした元凶と目されるホビト・パルパラン少将を反乱鎮圧の貢献者として高く賞賛。

さらにアロヨ大統領は2006年8月21日、政治的殺害を調査するメロ委員会を設置した。政治的殺害を引き起こしていると疑われている反乱鎮圧政策の実行組織(国家警察と国軍)に「調査」を命じたり、その責任者に栄誉を与えたりするアロヨ大統領のやり方に批判が高まったため、「独立性の高い」調査機関を設置することで取り組みの公正さをアピールしようとしたのである。

しかし、委員長に任命された元最高裁判事ホセ・メロ氏はアロヨ大統領と親しい間柄と見られていることなどから、メロ委員会は特別捜査班ウシッグと同様に、犠牲者の関係者やカラパタンなどからの協力を得ることに失敗。国家人権委員会の委員長さえも「召還令状」によって証言を求められたことを皮肉り、その姿勢に疑問を表し、国家人権委員会が記録する犠牲者数への質問に対して犠牲者数よりも犠牲者に関する情報に関心を持つべきであると批判した。また、これほど多くの超法規的殺害が起きているにも関わらず誰一人として告訴されていないことを指摘した。

各国政府も公の場で取り上げはじめ、2006年9月、アロヨ大統領の訪欧を機に、欧州連合理事会や欧州各国政府がフィリピンで続く政治的殺害と強制的失踪に対して懸念を表明。フィリピン政府はそれに応え、特に強く懸念を表明したフィンランドとスペイン、および国連人権理事会に対して調査団の派遣を歓迎すると発表した。フィリピン政府が国連人権理事会の「超法規的、即決的あるいは恣意的な処刑に関する特別報告者」の受け入れを認めたのは、欧州連合による説得が大きかったと言われる。

しかし、その発表にもかかわらず、2006年11月17日、カナダの市民団体の合同調査団が中部ルソン地方のヌエヴァ・エシハ州とブラカン州に現地調査に入ろうとしたところ、重装備の国軍兵士たちに妨害を受けたあげく13時間にわたって拘留され、カナダ政府大使館とフィリピンの法曹連合CODALの働きかけによって解放され、調査断念を余儀なくされるという事件が起きた。カナダ大使は各国商工会議所が1週間前に出した共同声明にも触れながら、「アロヨ大統領は国際社会の声に耳を傾けるべきだ」とフィリピン政府に呼びかけた。

2006年12月、安倍首相が日比首脳会談で、麻生外相が日比外相会談において、経済協力に関する協議の文脈で、「左派活動家やジャーナリストに対するいわゆる“政治的殺害”への日本国内での非常に高い関心を伝えた」。これは従来の日本のアジア外交を考えれば「路線転換」ともとれる一歩であった。背景にある動機としては、北朝鮮による日本人拉致問題を契機として「外交における人権の主流化」が政治的課題となっていること、また人権理事会で「すべての人を強制的失踪から保護する条約」案の採択のために熱心に動いた国として一貫性が求められていることなどが考えられよう。ともあれ、日本でほとんど報道もなかったにもかかわらず、「国内に非常に高い関心がある」と言わせたのは、日本キリスト教協議会、アムネスティ、FoE Japanや、在日フィリピン人、関西、中部の有志ネットワークなどによる署名活動、およびアムネスティ議連の議員による国会質問があったからである。

今、2007年5月の総選挙を前に政治的殺害の激化が予想される状況にあって、比政府の行動を「見守ってきた」日本政府は、2006年12月の懸念表明が実のあるものであったことを示すためにも、早急に次の行動を起こすべきであろう。欧州諸国のように比政府の招待を受けていないとはいえ、比政府は外国政府による直接調査を歓迎すると言っているのである。そのためには、メディアを動かし、議員を動かすことが必要である。昨年までに集まった署名は決して多くはなかった(全て合わせても5千筆以下)。それでも大きな変化をもたらす一石となった。不可能と思われようとも、声をあげつづけたい。


☆ 参考になる文献:『グローカルネットワーク~資源開発のジレンマと開発暴力からの脱却を目指して』(栗田英幸・晃洋書房)
☆「ラプス牧師が殺害されて1年 ~ フィリピン教会協議会声明」(2006年5月12日):http://ncc-j.org/diarypro/archives/125.html
☆ フィリピン・トヨタ労組を支援する会 :
http://www.green.dti.ne.jp/protest_toyota/

※ (2)の節は、雑誌『軍縮問題資料』(2006年3月号)に寄稿した記事の一部分をアレンジして再掲しました。

フィリピンで続く政治的殺害 - 2007年3月までのまとめ (1)

(NCC国際担当幹事 真野玄範)

「災いだ、自分の家に災いを招くまで不当な利益をむさぼり、災いの手から逃れるために高い所に巣を構える者よ。お前は、自分の家に対して恥ずべきことを謀り、多くの民の滅びを招き、自分をも傷つけた。まことに石は石垣から叫び、梁は建物からそれに答えている。」(ハバクク書2章)

昨年度、イラクに次いで最も多くの報道関係者が殺害された国がどこだったかご存知だろうか。フィリピンであった。2001年に始まるアロヨ政権下で既に47人が殺害されている。

カラパタン(フィリピン人権連合)がアロヨ政権下における政治的殺害として記録した件数は2007年2月15日迄に834人(その内「左派活動家」は358人)、他に未遂で終わったケースが521人、連行されたまま行方不明の人が209人にのぼる。年毎に超法規的処刑の被害者数を見ると、2001年101人、2002年122人、2003年125人、2004年75人、2005年189人、2006年207人。2005年から急増している。

被害者数は記録する団体によって異なり、それ自体がフィリピン政府によって論争の種にされている。例えば、政治的殺害に関する調査のために設置されたメロ委員会が報告に記した人数は、フィリピン国家警察によると136人、アムネスディ・インターナショナルによると244人、カラパタンによると724人となっている。この違いの主な原因は、カラパタンが「左派活動家」でなかった人も含めていることによる。殺害が政治的な動機によるものかどうかの判定は難しいため、政治団体や住民運動組織などへの所属が基準として使われれば、被害者数は限られた数になるのである。

2006年10月11日に5人の子どもたちを残して自ら命を絶ったヌエヴァ・エシハのガヤルド夫妻は、その数日前から国軍兵士に拷問されながら新人民軍(NPA)との関わりについて尋問を受け、「隠しているM-16ライフルと4万ペソを明日差し出さなかったら殺す」と言われて前日に家に戻されていた。ガヤルド夫妻は地元のメソジスト教会では信徒としてリーダー的存在であったとはいえ、NPAとは関係なく、パーティーリスト政党や人権団体のメンバーですらなかった人たちであった。2006年5月21日に同じくヌエヴァ・エシハで国軍による拷問の末に射殺されたフィリピン合同教会のアンディ・パウィカン牧師の場合も同様だった。なお、パウィカン牧師は日曜日の礼拝が終わった直後に連行されて拷問・尋問を受け、そのまま殺害されたのだが、国軍は、その日の早朝にあったという国軍とNPAの戦闘に巻き込まれて死んだと主張している。ガヤルド夫妻やパウィカン牧師のようなケースも数えれば、カラパタンが記録するような被害者数になる。

いずれにしても政治的殺害は「被害者数」で深刻さを測られるべき問題ではない。国連人権理事会のアルストン特別報告者が言うように「申し立てられているような種類の殺害が少数起こってさえ、その影響は多岐にわたって波及する。膨大な数の市民社会のアクターに脅威を与え、権力者に強いコネのある人を例外として全ての人が殺害の対象になりうるというメッセージとなり、この国が直面している諸課題の解決には必須の政治的議論の土台を崩してしまう。」

犯人はほとんど逮捕も起訴もされていない。仮に実行犯が逮捕され、犯行が立証されるようなことがあったとしても、背後関係や動機までが法廷で明らかにされることは期待できない状況がある。警察は「現場への出入りを制限するなどの捜査に必要な措置を取らなかった」「通報を受けても動かなかった」「記録をとらなかった」「幾つもの検問所を通らなければ犯人の逃走は不可能だったのに、携帯電話の電池が切れていたので連絡ができずに逮捕できなかったと言い訳をしている」など、初動捜査から身が入っていなかったことを非難されているケースが多い。殺害はしばしば家族や公衆の面前で行われているが、警察への信頼が失われているために、目撃者が身の危険を考えて名乗りでなかったり、協力を拒んでいるケースがほとんどである。そのため、個々のケースについて政治的動機や国軍、国家警察の組織的関与の有無を法廷で立証することは難しい。

しかし、件数の多さはフィリピン政府も認めざるを得ない規模となっており、多くのケースで共通の特徴が見られることは周知の事実となっている。

被害者は、バヤンムナなどのパーティーリスト政党、住民組織、労働組合、農民組織等の地域代表や、大学教授、弁護士、牧師、ジャーナリストなどの住民の代弁者であったような知識人が多い(アロヨ政権以前の超法規的処刑の犠牲者は主に一般の農民や労働者だった)。国軍の「暗殺リスト」に名前が載っていると聞かされ、「NPAの同調者/支持者/メンバー」と決めつけられて国軍にラジオやビラで誹謗されていた人が多い。そして「活動をやめないと殺すぞ」「次はお前だ」などと脅迫を受け、事件前に家や職場の周辺を不審者や兵士がうろつくなどの前兆があったケースが多い。襲撃方法も、黒ずくめの服でフルフェイスのヘルメットをかぶった二人組がバイクで乗りつけて射殺するやり方がとられたケースが多い。

“政治的な動機による超法規的処刑”が大規模に組織的に行われていることが疑われなければならない事態となっているのである。

2006年5月16日、円借款によるルソン島アグノ川灌漑事業に反対する住民運動のリーダーであったホセ・ドートン氏がバイクに乗った二人組の男に射殺される事件が起きた。この事件を受けて、現地住民と関わって提言活動を行ってきたFoE Japanを中心とする日本の市民団体はフィリピンで続く政治的殺害への注意喚起と融資決定の中止・見直しを求めて運動を行っているが、同月31日の「政府開発援助等に関する特別委員会」でこの事件を取り上げて質問した近藤正道議員に対して、金田勝年外務副大臣は「容疑者及び事件の背景については分かっていないということで報道がなされております。フィリピン当局は現在捜査中であるというふうに承知しておりますが、本事件と我が国が円借款によります支援の意図表明を行いましたアグノ川統合かんがい事業を直接関連付ける事実は現在のところないと承知しております」と答弁した。さらに、状況的に殺害の意図は明らかではないかとせまった近藤議員に対して、「いずれにしましても現地でのフィリピン当局による捜査というのが行われているわけであります。こうした動向を見守りながら、…」と以後の対応が不明瞭な答弁を繰り返した。2006年11月7日にも参議院外交防衛委員会で福島瑞穂議員が同様な質問をしたが、麻生外相は「(政治的殺害の横行についてはフィリピン政府が)早急に問題の解決に取り組んでいると理解」と答えたのみであった。

市民団体と外務省の間でも同様な問答が繰り返されてきた。外務省は、ホセ・ドートン氏のケースを、フィリピン政府に倣って「原因不明の殺害事件」として扱い、人権問題として扱っていない。“政治的な動機による超法規的処刑”がフィリピンで推奨、容認、あるいは黙認されている可能性、ホセ・ドートン氏がその犠牲者である可能性を考慮して対応しようとする姿勢が示されていない。人権侵害への対応は、裁判の結果を待ってする必要があるものではない。「直接関連付ける事実」の有無に関わらず、ドートン氏の殺害は、既に現実に、アグノ川灌漑事業をめぐる自由な論議や運動を困難にしているのである。

日本政府が慎重になるのはもっともだとしても、人権外交の原則として「人権は普遍的価値であり、また、各国の人権状況は国際社会の正当な関心事項であって、かかる関心は内政干渉と捉えるべきではない」と明言し、またODA大綱で「援助実施の原則」として、軍事支出に十分注意を払うこと、基本的人権及び自由の保障状況に十分注意を払うことを挙げているのである。二言目には「内政干渉になる」と主張する外務省官僚の態度には政府の方針との一貫性がない。

フィリピンでは、マルコス後も引き続き、国軍や国家警察の関与が疑われる人権侵害、政治的な動機による超法規的処刑が続いてきたことは、例えば国連人権委員会によるフィリピン政府報告への見解などによって指摘されてきたことである。フィリピンの国家人権委員会や、米国国務省の国別年度報告などでも、繰り返し指摘されてきたことである。犠牲者を多く出している諸団体は、政治的殺害の激増は、ラモス政権時に始まった和解政策が放棄され、アロヨ大統領の「全面戦争」宣言に基づく反乱鎮圧作戦「オプラン・バンタイ・ラヤ(自由監視作戦)」のためであると主張している。フィリピンの歴代政権は、米国の低強度紛争戦略に倣い、米国の支援を受けて反乱鎮圧作戦を取ってきた。2002年1月に始まったアロヨ政権のオプラン・バンタイ・ラヤで特徴的である点は、対象をイスラム勢力から共産主義勢力に戻し、武力闘争を行っているNPAそのものではなく、共産党と同様な政治目標を議会政治や市民運動によって追及していると見られる合法組織、すなわちパーティーリスト政党、人権団体、労働組合、農民組織、学生団体、そして教会までをも「国家の敵」として具体的に列挙して、プロパガンダによって悪魔化し、「先制的対応」によって「無力化」することを目的としていることである。ベトナムで米国が使ったフェニックス作戦に類似し、また米国の「対テロ戦争」に乗じたものであることが見て取れよう。オプラン・バンタイ・ラヤの作戦内容は、国軍が高校や村々をまわって『あなたの敵を知る』と題したパワーポイント・プレゼンテーションを見せてまわったため、公開されたも同然の状態となっている。

☆ オプラン・バンタイ・ラヤについては、NCCフィリピン委員会の渡辺英俊牧師が訳された「エキュメニカル正義と平和運動(EMJP)」のブックレット『“オプラン・バンタイ・ラヤ”とは何か』をご覧下さい。http://homepage3.nifty.com/eishun-naka/bunsho/index.htm

こうした事実があるにも関わらず、これまでの国会での答弁や市民団体とのやりとりを見る限り、日本政府は、アロヨ政権の反乱鎮圧政策及びその影響も含めた人権状況全般の批判的評価を行っておらず、問題が生じてから事後的に対応を考える政策を取っているとしか思われない。それがODA大綱の「援助実施の原則」の項で言うところの「総合的判断」の実の姿である。そのようなことで、人権外交やODA大綱の「原則」が実際の運用において原則とされていると言えるだろうか?

フィリピン教会協議会が報告「石が叫ぶ」を発表

■□■ NCC 国際エキュメニカル・ニュース 2006.3.20 No.80 ■□■

─目次──────────────────────────────
■1. フィリピン教会協議会が報告「石が叫ぶ」を発表
■2. (3/27 集会) なぜ暗殺が止まらないいのか? フィリピン人権問題報告会

─────────────────────────────────
■1. フィリピン教会協議会が報告「石が叫ぶ」を発表

3月19日、ジュネーブの国連欧州本部で開かれている国連人権理事会のプ
ログラムの中で、フィリピン教会協議会(NCCP)が中心になってフィリピン
の人権状況についてまとめた報告「石が叫ぶ(Let The Stones Cry Out)」
を発表するセッションが持たれました。この後、ドイツ政府代表団と会合
を持つ他、国連人権理事会の本会議での声明発表も予定されています。

フィリピン教会協議会(NCCP)のレックス・レイエス司祭(フィリピン聖公
会)や、カロオカンのローマ・カトリック司教デオグラシアス・イニゲス
師父(フィリピン・カトリック司教会議エキュメニカル委員会の副議長、
エキュメニカル主教フォーラムの共同議長)他、フィリピンの教会代表団
の働きのため、ご加祷ください。

※ 報告「石が叫ぶ(Let The Stones Cry Out)」は、日本の教会との連帯
の記録ともなっています。まだ翻訳版はありませんが、NCCのサイトか
らダウンロードできるようにしましたので、ぜひご利用下さい。
http://ncc-j.org/publications/Let%20The%20Stones%20Cry%20Out.pdf

─────────────────────────────────
■2. (集会) なぜ暗殺が止まらないいのか?~フィリピン人権問題報告会~

政治的殺害の問題にとりくんでいるフィリピン人弁護士に実情を聞く機会
です。2月に国連人権理事会アルストン特別報告者がバギオを訪問した際、
報告やコーディネートをしていた弁護士の一人です。どうぞご参加下さい。

○ 3月27日(火)午後6時30分~(6時開場)
○ 四谷区民センター11階集会室2
○ 講師:ランディ・キナウド(RANDY KINAUD)氏
○ 資料代:500円
○ 主催:ヒューマンライツ・ナウ
アムネスティ・インターナショナル日本
日本キリスト教協議会フィリピン委員会

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中国に日本語教師として派遣されて (4)

■□■ NCC 国際エキュメニカル・ニュース 2006.3.19 No.79 ■□■

─目次──────────────────────────────
■1. (集会案内) 中国の基督教(プロテスタント) 過去・現在・未来』
■2.『瑶湖(やおふう)便り』(中国派遣日本語教師 藤原 薫さん)
- 一期二年の働きを終えて - 江西省のアミティ教師

☆ 藤原姉中国活動後援会(会長 田中博二牧師)
日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会内 TEL/FAX 052-821-3531
郵便振込口座 00840-2-166746 口座名 藤原薫姉中国活動後援会
* 派遣費用として年間5千ドルが必要です。どうぞご協力下さい。

─────────────────────────────────
■1. (集会案内) 中国の基督教(プロテスタント) 過去・現在・未来』

R.モリソン中国渡来200年を記念して、共に学ぶ会<中国の基督教200年>主
催のミニシンポジウム・連続講座が、9月、10月、11月、12月の第二土曜
日に開催されます(場所は都内の教会を予定)。まだ少し先ですが、どうぞ
ご予定にお入れ下さい。

宣教師ロバート・モリソンがロンドン伝道会から中国へ派遣されて広州の
地を踏んだのが、1807年の9月7日でした。欧米列強に翻弄された19世紀、
アジアで初の共和国として出発した20世紀初頭、そして社会主義革命、文
化大革命というすさまじい激動の中で、キリスト教は時に侵略に加担し、
時に徹底した弾圧にさらされながらも、今なお広く大きく力強く生き続け
ています。その200年の歩みを振り返り今の問題を見つめつつ、将来への
展開を望み、祈っていきたいものです。

◇基調講演とミニシンポジウム 9月8日(土) 午後1時半~5時半
-「中国のプロテスタント200年を概観する」(講師交渉中)
- ミニシンポジウム 司会:渡辺祐子(明治学院大学助教授)
- パネリスト:松谷曄介・守部喜雄・金斗賢・他一名

◇連続講座 いずれも午後2時~4時半まで
10月13日 仮題「抗日戦期の上海で」池田鮮氏・古屋安雄氏
11月10日 タイトル未定 渡辺信夫氏
12月 8日 仮題「わたしと中国」武田清子氏

※「共に学ぶ会・中国の基督教200年」は、中国の基督教に関心のある東
京近辺のキリスト者たちが2003年8月に発足したミニ・グループです。
わずか十名足らずで、これまでも十数回しか勉強会をしていませんが、
その学びの一つの区切りとして、上記のようなミニ・イヴェントを企て
ました。多くの方にご参加いただけますように。
* 連絡先: 加藤実 (中国・武漢・華中師範大学中国近代史研究所)
zta10402@nifty.com

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■2.『瑶湖(やおふう)便り』

藤原 薫(日本福音ルーテル名古屋めぐみ教会)

(現在、NCCより中国愛徳基金会に日本語教師として派遣されている藤原
薫姉の後援会の『瑶湖(やおふう)便り』第2号(発行 2006年10月)から2つ
の記事をご紹介します。)

○ 一期二年の働きを終えて

神様の豊かなお導きと皆様の暖かいご支援に支えられて、アミティ日本語
教師としての一期二年間の働きを終えることができましたことを心より感
謝申しあげます。

一年目は五里霧中、暗中模索の一年でした。日本と多くの文化を共有しな
がら似て非なる中国人の生活習慣や物の考え方にカルチャーショックを受
けたり、同じ文化を共有しているからこそ理解し合えることもたくさんあ
ることを発見して喜んだり、失敗をする度に中国人の善意と寛容さに触れ
て感動したり、そして何より、勤勉で優しい学生たちの支えと励ましがあっ
たから、喜びと感謝のうちに二年目を迎えることが出来ました。

二年目は、まさにその喜びと感謝と賛美の一年でした。学生たちの日本語
が日進月歩上達していく様子に驚喜し、その日本語を通して心の交流が出
来るようになったことに感動し、さらにこのようにめぐみ豊かな道を用意
してくださった神様に感謝し賛美する一年でした。中日戦争勝利60周年記
念の行事に沸いた昨年は、私たち在中日本人にとって居心地の悪い一年で
したが、これはかえって学生たちと日中友好のありかたについて考えるよ
い機会となりました。私の教えている学生の中に「日中友好」スピーチコ
ンテストで華東地区代表の一人に選ばれた学生もいますし、他の団体の主
催する作文コンクールに応募した学生もいます。政府レベルでは相変わら
ず険悪な状況にある日中関係ですが、草の根レベルでは相互理解をはかる
べく様々な活動が行われています。私はアミティ日本語教師として、また
皆様は私を支えてくださることによって、日中友好の架け橋となる次世代
を育てるための尊い働きに参加させていただいているとの思いをますます
強くしています。

依然として高度成長を続ける中国経済ですが、バブル景気への不安、ます
ます広がる貧富の格差など、ひずみや矛盾が問題になっています。中国愛
徳基金会(アミティ)は二十年の間、中国社会の底辺で苦しむ人々へ支援
活動を続けています。私の属する教育部門では、世界十数カ国から派遣さ
れた語学教師が特に貧困地域にある学校で語学教育に携わっています。私
も二年間、江西師範大学で「日本語教師のたまご」を育てる働きをしてま
いりました。皆様から尊い献金、熱心なお祈り、暖かい励ましのお言葉な
ど様々なご支援をいただいて充実した一期二年間の働きを終えることが出
来ました。

めぐみ教会後援会の皆様には、一年間の任期延長を認めていただき感謝い
たします。3年目に向けての抱負は、第一に学生たちの日本語能力のレベ
ルアップ、第二にアミティと日本のルーテル教会との相互理解の促進、第
三に日中両国の青少年の交流です。第一と第二は過去二年間の実績の上に、
何か目に見える形で実現できるものと考えていますが、第三は資金や時間
など難しい問題があります。私の思いが皆様のご賛同を得られ、神様のお
導きがあれば必ず叶えられると信じています。どうぞ、お祈りに覚えてく
ださい。

過去二年間、皆様から熱い祈りと、私の思いをはるかに超えてたくさんの
献金をいただきましたことを重ねて感謝し、新たな年度にもまた主に喜ば
れる働きが出来るように、ひきつづきお祈りと献金によるご支援をいただ
けますようにお願い申し上げます。

○ 江西省のアミティ教師

2006年度、江西省在住のアミティ教師は南昌に英語教師2人と日本語教師1
人、新余に英語教師2人、のわずか5人になってしまった。

アミティ教師の絶対数が減っていること(現在50人前後とか)と、雲南省、
甘粛省、貴州のような内陸南西部の辺境地域の語学教育に重点が置かれ、
そういった方面へ、多くの教師が異動しているためである。

真鍋先生は3年間、大河内先生は2年間のNCC派遣期間を終え、アミティを
離れて個人契約教師として江西省にとどまることになっている。2006年度
のアミティ日本語教師は私だけとなりさびしい限りである。
(* 編註:眞鍋さんは江西省の吉安市の井岡山学院で、大河内さんは引き
続き江西省南昌市郊外の東華理工学院で、働きを続けておられます。)

最近、アミティ日本人教師に与えられた使命をますます強く感じるように
なっている。「先生はなぜ師範大学の先生になったんですか?」と学生た
ちからよく聞かれる。この質問に答えるためには「アミティとは何か」か
ら始めて、「私がクリスチャンであること」、「日本の教会がアミティを
支援していること」、また「そのアミティが私を師範大学に派遣している
こと」などの長い説明を要する。その過程で学生たちはアミティと日本の
キリスト教会、そして師範大学という一連のつながりを知ることになり、
そして一人のクリスチャン日本語教師が日中友好を願いつつ教壇に立って
いることに気づく。立身出世、金儲けを第一義とするような社会の中で、
私のような生き方もあることをはじめて知る学生も多い。学生たちが将来
どんな生き方を選択するにせよ、自分たちが学んだ日本語を誇りに感じ、
いつまでも日本に対する興味関心を持ち続けてくれる学生を育てたいと思っ
ている。

※ "The AMITY TEACHERS PROGRAM"
http://www.amityfoundation.org/page.php?page=76

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