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第19回NCC-URM全国協議会声明

第19回NCC-URM全国協議会声明 

「小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、ものを買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である。」(ヨハネ黙示録13章16~17節)

2010年3月14日(日)~16日(火)にかけて、私たちは第19回NCC-URM全国協議会を、「経済至上主義を問う-地域の再生と宣教の課題」をテーマとして、京都の関西セミナーハウスで開催しました。
今年は、エキュメニカル運動が開始されて100周年を迎えます。エディンバラでの第1回世界宣教会議から現在までのエキュメニカル運動を振り返り、福音の包括的理解のもと伝道を含む宣教の働きとしてのNCC-URM運動の今日的意義を確認し、次世代に継承することも、今回の協議会における主要な課題でした。
また、今年は1910年の「韓国併合」から100年目となる年です。「韓国併合」は、今日NCC-URMが取り組んでいる「在日外国人問題」の発端であり、また根源的な問題として、いまもなお影響を持つ歴史的な出来事です。

「百年に一度の不況」と呼ばれる時代に、今私たちは立たされています。これは全世界的な規模で行われている「新自由主義経済」政策の一つの結果です。ことに2008年9月、アメリカの住宅資産価格暴落によって、投資銀行「リーマン・ブラザース」が破綻し、連鎖的に世界的な金融危機に発展したことは、この「新自由主義経済」政策のもたらした「危機」であるといえるでしょう。「新自由主義経済」、それは市場原理に則った自由競争を謳い、公的な機関による経済統制や「市場」への介入を出来るだけ小さくしようとする、あるいは「拒否する」という思想です。それはまた、あらゆるものを「経済行為」に還元し、また「経済行為」がすべてを支配することを容易にさせていく「経済至上主義」の思想です。
しかし、この思想に基づいて行われる政策によって、社会全体に、世界規模でさまざまな「ゆがみ」や「ほころび」が生じています。こうした「ゆがみ」や「ほころび」として表れている「変化」は、私たち人間の環境、自然や社会を損ない、また「人が人としてある尊厳」を奪い、生存権そのものを危うくさせるものに他なりません。その問題と危機的状況は、私たちが生活するあらゆる領域で確認されるものです。
今回、第19回NCC-URM全国協議会に集まった私たちは、私たち自身の世界をゆがめ、損なう「経済至上主義」の具体的な表れを取り上げ、その問題点をさらに詳しく分析するとともに、この「経済至上主義」に対抗しうる思想と行動を作り上げるための話し合いを持ちました。
また、私たちは教会の使命が、狭義の伝道という務めだけでなく広義の宣教という視点から、“神の御心が地においてもなされるように”との祈りを持つことの重要さを再確認しました。
私たちは、今回特に以下の6つの課題について発題を受け共通の認識を持つに至りました。

1、原子力発電問題について
 原子力発電は、現場の労働者の日常的な被曝問題、近隣住民の不安を伴っています。また、地震国日本の多くの原発は活断層の近くに立てられており、大惨事がいつ起こるか分からない危険にさらされています。日本の原子力政策は都市と地方の経済格差の上に交付金という目前の利益によって地方へ押し付けてきているのが現状です。また、世界が危険と敬遠した高速増殖炉や、廃液による環境汚染が憂慮されている再処理工場、また使用済みMOX燃料の処理方法が確立されていないプルサーマル計画も、世界が撤退しようとするなか日本だけが推進するなどの問題を抱えています。
そもそも原発は、核兵器製造から開発されたものであり、いつでも軍事転用が可能で、世界の核拡散を助長するものです。しかし、日本では平和利用を謳って国策として推進され続けています。教会は、国家の監視ということも覚える使命があります。
また、日本はエネルギー政策を効率のよい小規模分散型発電等に切り替えることも可能であり、私たちもエネルギー消費のあり方を反省しなければなりません。

2、農村宣教について
近年日本の農政は、国際分業、農業近代化の名のもと家族経営、複合経営から大規模単作農業への転換を図るものでした。しかし、それは家族経営を中心とした農村の実情を無視したものであったため、結果として大型農機と化学肥料、農薬の大量使用による「食の安全」の危機をもたらしました。その中で、農村活性化の手段として観光開発を進めたことは、かえって農村の破壊、過疎化を加速させ、食料自給率の低下をもたらしました。今こそ土地、農村を甦らせ、農民が喜びをもって農業に従事できる農政が求められているとともに、都市生活者も産直運動をとおして食生活の在り方の見直しなど農村の活性化に寄与することが求められています。
また、共通する文化、農業形態を持つ東アジアにおいて「農業自立ネットワーク」構築の動きがあり、これは、東アジアの平和、共存にとっても有意義であることを確認しました。

3、移住労働者問題について
 リーマンショック後日本を襲った大不況によってまず解雇されたのは外国人労働者でした。また、外国人の子どもを対象とする外国人学校の多くは公的支援が全くなされておらず、その存続が危ぶまれているのが現状です。にもかかわらず近年、政府によって進められている在日外国人法制度の改訂は、少子高齢化に伴う労働力不足を外国人労働者によって補うことを前提としており、その中身は、在日外国人の権利擁護とは逆に、外国人を徹底して管理し使い捨てにすることを目的としています。真の意味での共生社会を創るため少なくとも国際人権諸条約が求める外国人の人権を保障する国内法の整備と政府から独立した国内人権機関の設置が強く求められています。
一方、今日の日本社会で見られる偏狭なナショナリズムと排外主義の高まりは、新自由主義経済体制下で周辺に追いやられた人々が、その不安と怒りの矛先を客観的社会矛盾に対してではなく、外国人に対して向けられているものであることを強く憂慮します。

4、日雇い労働者問題について
近年、政府が行ってきた新自由主義経済政策は企業のエゴを生み出し、規制緩和・民営化の名の下で労働者の生存権が脅かされ、非正規労働者を量産してきました。また、日本の近代化の中で、過酷な労働条件のもと不安定な雇用形態で働かされてきた日雇い労働者は、景気の安全弁としての役割を負わされてきました。一昨年のいわゆるリーマンショック以降仕事が激減し、失業者が増え、生活保護を受ける人が増えています。失業者の中には野宿を強いられたり、精神疾患を抱えるなどして自殺に追い込まれる人もいます。今、労働者間に新たな序列と差別が生み出されています。労働者の生存権の立場から労働行政、福祉行政の抜本的改革が必要とされています。

5、沖縄の基地問題について
沖縄は「本土」防衛の前戦基地として、沖縄戦において悲惨な状況におかれました。戦後もいわゆる1972年の「本土復帰」までは米軍支配の下におかれ、復帰後も日本の安全保障の名目で多くの米軍基地がそのまま残され、沖縄の人々の生存権を脅かしてきました。
また「本土復帰」にあたっても、米軍の核持ちこみ、朝鮮半島有事の際の事前協議なしの出撃、復帰に伴う費用の日本の肩代わりなどの密約が、まず米国において明らかにされ、日本政府もついにその一部を認めるにいたっています。  
これらの歴史的な過程の根本問題は、薩摩による琉球侵略と支配以後現代にいたるまで、日本が沖縄民衆の思いを無視し、差別し、利用しつづけたことにあります。私たちは、私たちもまた、沖縄の状況に無関心でありつづけたことを反省します。そしてその反省の上にたって日本政府に対し、沖縄に平和を作り出すことこそがその務めであるということを強く求めます。
 普天間基地移設問題はもちろんのこと、沖縄の未来について、沖縄の民意がなによりも尊重されねばなりません。私たちも普天間基地の県内移設に反対します。

6、三里塚闘争について
巨大公共事業として進められた成田空港建設は、戦後入植した農民が必死で開拓した農地の上に造られました。その建設に際して国、空港公団は建設予定地であった農地を行政代執行法に基づいて、機動隊の圧倒的な力によって農民、支援者の根強い反対と抵抗にもかかわらず強制的に収用しました。
 こうした空港建設は、まさに“国策”事業を盾に自然と環境を破壊しただけでなく、地域における農民の生活、人と人のつながりを分断させ、損なわせる行為であったといわざるを得ません。「国と地域農民との和解」「空港との共存」という名目で推進される政策は、現実には未だに土地の収用、収奪に関わる問題を発生させており決して終結していません。
私たちは三里塚闘争にかかわる農民が、権力との闘いの中から新しい形で生産者と消費者との顔が見える関係をつくりだしていることに共感し、これに積極的にかかわっていきます。

私たちは、以上の認識を共有し、それぞれの問題を、教会の宣教課題として協働して取り組んでいくことを確認します。

「来るべき世代に視線を向けながら思索し、行動すること、その場合、恐れと憂いなしに日々を歩んでゆく用意が出来ていること─これが実際にわれわれに要求されている態度であり、毅然として耐え抜くことは容易ではないが、やはり必要な態度なのである。」
(D・Bonhoeffer)

2010年3月16日 
第19回NCC-URM全国協議会参加者一同